カリフォルニア・日記

知っていること以外話す気はない

カメラロール供養

f:id:ryotarookuyama:20231214235040j:image

1万5千枚

いったい何を撮った
見返さないと思い出さず、そして二度と見る必要のない写真に今回はフォーカスを合わせる。

f:id:ryotarookuyama:20231214192734p:image

2017年の夏の思い出といえば、演劇部で台本を書いたこととミサイルが飛んできたことだ。文化祭の次の日は休みの日だったがやることもないので、部活の友達と男3人で当時映画館でやっていた「打ち上げ花火上から見るか横から見るか」みたいなタイトルの映画を観に行く約束をしていた。前の年の夏に「君の名は」が流行って、なんか似たような感じで宣伝されてたから流行りに乗ろうとしていたらしい。
その日の朝、北の将軍が打ち上げ花火を撃ってきた。
タチの悪い冗談みたいな事件だったが、結局観に行った映画はこのタチの悪い冗談よりも面白くなかった。
当時のおれたちは普通の高校生が外に遊びに行って何をするのか知らなかったので、ふらふらしていたら辿り着いた公園でトンボを追っかけて、飽きた頃に解散した。
翌9月の演劇の大会の朝にも北の将軍は弾道ミサイルと見られる飛翔体を東北地方へ向けて発射した。朝7時くらいだったと思う。おれは始発の電車に乗って学校に向かっていた。芝居のあるシーンが完成しておらず、そのシーンの登場人物とおれの3人だけで作る理不尽な朝練が行われる予定だった。市役所だか銀行だか農協だか裁判所だか偉そうな建物が並んでいる道をチャリで走り抜ける。朝7時のなので人の気配がない。田舎の通勤者たちは朝飯を食い終わった頃か或いは車の中渋滞したバイパスで苛立ちながらFMを聴いている頃合いだ。
突如背中のリュックに入っている携帯から聞きなれないサイレンがけたたましく鳴った。それと同時に人気の無い街のあちこちから同じ音が聞こえる。おそらく全ての携帯電話が同じ音を出し、人の気配のない街に鳴り響いた。
微妙なタイムラグがあるのか、サイレンは折り重なり奇妙な旋律となっていた。オーケストラの奏でる音楽がホールに響くのと違い、街そのものが楽器になったようなおかしな感じがした。
朝練には全員集合したがろくな練習にはならなかった。あのシーンがなかなか完成しなかったせいでその顔ぶれでしばしば集まる必要があったが、あれ以来部活であのメンツになると脳裏に飛翔体が浮かぶようになってしまった。

f:id:ryotarookuyama:20231214195137j:image

単純に、美しいと思った。
螺旋の造形と、斜めからさす陽光がうねりの間に生み出す陰影が、そしてコーンに刻まれた規則的なパターンとそれを握るおれの手に表れているしわ。

f:id:ryotarookuyama:20231214195435j:image

首都圏研修(決して修学旅行ではない)とかいう学校の行事で東京に行った時の写真。自由時間に一人で上野の国立西洋美術館に行った時になんか撮ってみたものだ。
上京したあとのことだ。おれは秋葉原から上野まで歩くのがなぜか好きで、上野駅を利用することがほぼない。なぜかある日、高2の時の研修を思い出してあの時の上野駅公園口を探しに国立西洋美術館の前に行ってみたら何もなくなっていた。かなり一生懸命探したが見つからず腹立たしい気持ちになって帰った。帰ってからどうしても納得いかなかったので調べてみたら、公園口は改修工事で出口の位置ごと変わっていたらしい。後日行ってみたらまるで別のものが全く違う場所に公園口として存在していた。
東京って恐ろしいなと感じた出来事のひとつである。

f:id:ryotarookuyama:20231214200604j:image

高3のとき、演劇部の台本の改訂作業をしていた時であった。高2の夏からずっと同じ台本を手直ししていて頭がイカれたのか、坂口安吾の部屋みたいにしてわざと部屋を散らかしてみた。散らかしてもこの部屋は国語便覧には載らないことぐらいわかっていたのですぐに片付けて寝た。

f:id:ryotarookuyama:20231214200851j:image

文化祭の演劇部の公演は泊まり込みで準備する。毎年文化祭は土日に行われるが、おれは1年2年の時はこの土日の間に家に帰ったことがない。引退した後の3年の文化祭の土曜の帰り、自分が家に帰れる事実に驚愕し戸惑いながら撮影した。雨に濡れた道路を遠くの信号機の光がやけに眩しく照らしている。8月末。これから秋へ向かい雨が降るごとに寒くなっていく。その前触れを感じるいやにつめたく湿った空気だった。

f:id:ryotarookuyama:20231214201457j:image

刑務所を脱走し、瀬戸内海を泳いで渡り(かどうかははっきり覚えていないが)結構長いこと逃亡し続けて全国的に話題になった男がついに捕まった時の言葉だ。誰しも自分の運命を受け入れなければならない時がある。常に逃げ続けるような高校生活を送っていたおれは、平尾受刑者が至ったこの境地に畏怖の念を抱いた。

f:id:ryotarookuyama:20231214202007j:image

冬にプールの出番はない。しかしちゃんと存在している。勉強をしない受験生であったおれも同じように、無意味に校舎をふらふらしてこんな写真を撮っているがちゃんと存在していた。プールには来年も夏が来る。おれにも多分来る。だが、雪に閉ざされ白黒になった視界の中で過ごすとそんなことも忘れる。

f:id:ryotarookuyama:20231214202220j:image

武道館で行われた日本大学の入学式である。こんなん撮らずにはいられないだろう。2019年の入学式。僕にとってはコロナ以前の旧来の生活様式の象徴のような光景となった。おそらくここにいた奴らのほとんどはすでに卒業しているに違いない。当時18歳のおれは全員を恐れ、何かの間違いで全員死なないかなと思っていたが、彼ら彼女らもあのわけのわからんオンライン授業を2年間受けて、世の中に多かれ少なかれ幻滅したに違いない。大学5年生になった今やおれは彼らを応援したくなった。いろんな色の頭たちの前途に幸多からんことを。f:id:ryotarookuyama:20231214202938j:image

500円玉貯金にハマっていたが、次第に目的が節約から支払いを通じて500円玉を得ることになっていき、やがては500円玉が欲しくて欲しくて仕方がなくなり、最終的に出て行く金が倍になったことに気づいた時、おれは貯金箱を持って銀行へ行き、全て口座に戻した。500円玉貯金をはじめてから5万円が口座から出ていき、この日2万5千円が口座に戻った。

f:id:ryotarookuyama:20231214214100j:image

前述の通りおれは秋葉原と上野の間を歩くのが好きだ

f:id:ryotarookuyama:20231214214405j:image

ガリガリくんをガリガリできなくてかなしい

f:id:ryotarookuyama:20231214214613j:image
おまえはもう元の姿には戻れない

f:id:ryotarookuyama:20231214214824j:image

「17分温めてください。」ほかにやることありませんか?

f:id:ryotarookuyama:20231214215205j:image

元号が令和に移り、今上天皇が内外に即位を宣言する「即位礼正殿の儀」が執り行われた日、駆けつけた各国要人とともに陛下が行う食事会「饗宴の儀」。それと時を同じくしておれも「儀」を執り行った。魚肉ハンバーグを焼いたのだ。

f:id:ryotarookuyama:20231214215715j:image

消費税増税の思い出 まだうちに余計なものはなかったが、これを機に増えた気がする。

f:id:ryotarookuyama:20231214220052j:image

逆に体力がないとこれで生活はできない。当時は若かった。

f:id:ryotarookuyama:20231214221310j:image

うつ病の診断が下り、ひとまず実家に戻った12月。電車の中から、忌み嫌っていた雪が見えた。ずいぶん久しぶりに見た気がした。これを懐かしく思うということは、山に囲まれたこの地から逃れられないという感覚をぼんやりとであるが覚えた。灰色の東京から逃げ出した先に暖かい光があったわけではなく、凍てついた駅のホームに降りるとともに脚ががたがた震えていた。

f:id:ryotarookuyama:20231214220256j:image

上山城。なぜ緑色なのかはわからないし気にもならなかった。バカ殿とルイージマンションのコラボみたいで面白かったのだと思う。

f:id:ryotarookuyama:20231214221934j:image

7月に地元に豪雨が降り、近くの川が溢れそうになった。おれは川のライブカメラを見てみた。非常事態で家の中やテレビの様子が異様な空気に包まれる中で見たその映像にはシン・ゴジラみたいな字幕がついていて、不覚にも面白いと思ってしまった。高台の小学校に避難所が開設され、そこに移るべきかどうかの瀬戸際だったため甚だ不謹慎だ。幸い被害はなかったが、かなりギリギリまで水位は上がっていた。

f:id:ryotarookuyama:20231214220654j:image

運転免許を取って最初に向かった場所:TSUTAYA

f:id:ryotarookuyama:20231214221100j:image

COVID-19(新型コロナウイルス)感染拡大により実家でオンライン授業を受ける日々が続いた。おれには趣味らしい趣味はなく、何か面白いものはないかと家中を物色していた。おれは古い父親の一眼レフカメラを発見し、勝手に使いはじめた。(当時はフィルムが700円で買えた。おれが地元でフィルムを買い現像していた写真屋は商売をやめてしまい、同じフィルムは今は2000円以上出さないと買えない。)
写真の腕もセンスもなく、何を撮りたいかもわからず、撮りたくなるような面白いものも身の回りにはあまりなかったが、ただなんとなくカメラのファインダーを覗いて、レバーを巻き上げ、ピントを合わせて、息を止めて恐る恐るシャッターを切ってみる。一瞬ファインダーの中は瞬きをするように真っ暗になり、両手で包んだ金属の重い塊の中からシャッターが切れるカシャンという音と確かな手応えが伝わってくる。これがただただ楽しかった。撮りたいものはやっぱりよくわからなかったけど、ただ撮るということがしたくて、とりあえずカメラを持ち出して、適当に撮って回っていた。現像から戻ってくきた撮影結果はだいたいは期待はずれで、こんなつまらないもののためにフィルム代と現像代を出したことに後悔をする。しかし、やはりまたシャッターを切りたくなる。あれをやっている間は楽しいから。だったらフィルムが入っていないカメラでやればいいのかもしれないが、素敵なものが写っていて欲しいという祈りのようなものがなければあの感覚は成立しない。もはや儀式のようなものであった。
適当に撮って変な写真を量産していたおれであったが、そんな時期に撮った写真でいちばん自信があって気に入っているのがこの『千歳山マンション』である。

もう一度ご覧いただこう。

f:id:ryotarookuyama:20231214221100j:image

諸君からすればこれはただの千歳山マンションであろう。しかしこれはおれにとっては唯一無二の『千歳山マンション』なのだ。ちなみにおれはこのマンションに住んでいたこともなければ友達が住んでいたわけでもないしいつも見かけていたとかそういうわけでもない。つまりは千歳山マンションにはまったく持って思い入れがない。

なんならこんな写真撮った覚えがない。

こんなに空が綺麗だっただろうか。コンクリートの白と、雲の白はこんなにも違うのか。なにより、適当に撮っていても奇跡的に良い写真(当社比)が撮れることがあるのか。

これ以降、カメラロールには一見してわけのわからない写真が増える。
とりあえず撮る。なんとなく楽しいから。撮った後は知らん。というわけで本稿のような記事を書く必要が生じたというわけだ。

本稿で取り上げた、おれが自ら証言しなければ何が写っているか永遠に不明なままの画像情報であるが、まだまだある。
続けようと思えばいくらでもネタがあるが、大学1年の頃を思い出したあたりでちょっと辛くなってきたので本稿はここで筆を止める。

筆は止めるが、撮影行為は続く。

 

f:id:ryotarookuyama:20231214233654j:image