カリフォルニア・日記

知っていること以外話す気はない

書いてみた

ブログの更新も久々である。本当は長い春休みの間に書きたいことが色々あって、構成だとか話の筋とかを考えていたのだが、頭の中で思い浮かべるにとどまり、パソコンの前に座ってキーを叩くまでに至らなかった。パソコンの前に腰を据えてみると急に考えていたことが消えてしまい、覚え書きを書こうにも言葉が思うように出てこない。なにかを考えることに以前よりも疲れを感じるようになったことは否めない。自分の書いた文章は今まで自分でも割と気に入っていたが、書く気力が起きなくなってくるとそんな自身の状態にも嫌気がさしてきてしまう。そんな感じだがら自然と書くことに気が向かなくなっていたのだろうと思う。

春休みの間はいろんな人と会った。昨年の秋に精神的に参ってしまってからしばらく実家にいたが、それで具合がよくなったかというとそういった実感はこれといってない。両親は必要以上に僕を気遣ってくれていたが、11月から数えて3か月ほど子供部屋を中心に生活し、両親のほかに話す相手がいない状況にさすがに居心地の悪さを感じていた。
居間で家族と食卓を囲んで夕飯を食べ、しばらくテレビを観たりして、父親母親の順番で入浴する時間になると僕は2階のベランダに出て煙草を吸う。ユニクロのダウンを羽織り、冬の夜空を見上げると、きまって視線の先にはオリオン座の真ん中の三連星があり、オリオン座とにらめっこをしながら煙を吐くことが自然と僕の習慣となっていた。毎日同じ時間に同じ位置にいる。僕も星座も。オリオン座は冬の星座なので、本当にこの暮らしをずっと続けていたら違う星座が見えてくるのだろうが、僕にはこの冬が永遠に終わらないものに思えてどこか恐ろしかった。ベランダに置いてある灰皿の吸い殻がただ増えていくだけ。おそらくこのまま寝そべって暮らしていても何も良くはならない。春休みになったら会いたい人に会おう。と、長い冬の間は考えていた。

春休み、といっても山形の2月3月はまだまだ灰色の冬の季節であり、春の気配など4月が目前に迫るぎりぎりまでやってはこない。この地の冬は長い。だからこそやがて来る春が恐ろしい。灰色の冬がいくら永遠のように思えても季節はめぐる。冬が永遠だと錯覚するせいで毎年毎年4月になるといらない戸惑いを覚える。退屈に不満を覚えるなら変化を求めるべきだ。一人でうずくまっているだけでは何も良くはならない。

充分な時間と余裕を与えられた僕は、そのただなかで元気にならなければならない。幸せにならなければならない。という焦りに駆られていた。

正直、自殺に失敗して「生きててよかった」と言われても、「なにも良くねえんだが」としか思わなかった。そういうのはもうやめたい。やめるべきだ。やめるべきだと考えるようにした。やめるべきだと考えざるを得ない状況だった。心からやめたいと思っているわけではない。つまり、そういうことだ。命が病のように僕の精神を侵している。生きなければならないという事実が僕を脅迫する。だが、いいかげん大人になった方がいい。いつまでも駄々をこねていられると思うなよ。

僕の中には僕しかいない。自分自身が、親や友達から大切に思われているという前提が欠落している。僕は僕が生きて在ることにすでに嫌気がさしているが、僕が生きて在ることをみんなは喜んでくれる。生きて在ってほしいと言ってくれる。

僕は自分自身のために望んで生きて在ることができないが、僕が生きて在ることを他の人が望んでいる以上、僕は自身が生きて在ることをやめることができない。しかし、ただ生きて在る。それだけ。というのは、難しい。

じっさい、僕は春休みの間にたくさん人に会った。みんなが、「君には生きていてほしいし、書き続けてほしい。」と言ってくれた。

僕は生きて在り続け、書き続けることを求められていた。幸せなんだと思う。

しかし、生きて在ることと書き続けることは、言うまでもなく途方もない困難であった。この期待に、身に余る期待に、応えることが出来る自信がない。

生きてほしい、書いてほしい。といってもらえることを心の底から嬉しいと思う。しかしそれと同時に、生きていることに苦痛を感じ、書くことが出来ていない自身の状態も心の底から恐ろしく感じた。

僕は作家でもなんでもないけど、僕に何かあるとしたらそれは書くことだけで、「生きていてほしいし書いてほしい」と言われると、ここにきて書くことは即ち生きることになってしまった。つまらないものを書いてしまうと、遂に生きていることもできなくなる。

だから、書かないでいることで生き続けることをとりあえず保留にしてきた。

気が付くと4月が半分終わっていた。4月にあったことを一通り書いてみようと思った。しかし、書くことがあるのに、書きたいことがあるのに、実際に出力されたのは書けない理由だけであった。

こんなのなんにも書いていないのと同じだ。こんなの生きていないのと同じだ。
ではここに並んでいる文字はなんなのだろう。毎日毎日来る日も来る日も眠って目覚めて腹を空かせて飯を食って頭を抱えてみじめな気持ちになって。これは一体何なのだろう。

気が付いた。僕の現在の歪んだ認知では、書いている奴なんて一人もいないし生きてる奴なんて一人もいない。

もう少し寝そべっていようかと思った。

こういう記事をこの「カリフォルニア・日記」に公開するのはどうも気が進まない。なんにも書いていないのと一緒な気がする。公開するボタンをクリックできずにしばらく頭を抱えていたが、他に何か書ける気もしないので、とりあえず置いておく。もっとまともなものが書けるようになるまで置いておくしかない。しかし少なくとも、こんなもんが遺書なのは絶対に嫌だと今思ったので、気は進まないがやはり生きて書くしかないんだろうなと思った。いつか絶対に、完璧な遺書を書いてやる。もう僕にはそれしか残っていない。

書くこと即ち生きること。というのは全く納得できないのだが、書けないということ即ち死ねないこと。となると、ひどく腑に落ちる感じがした。

ボイス・レコーダー

※過去に僕の演劇の小道具で使ったボイスレコーダーを夜中に引っ張り出して、録音した独り言を書き起こした記事です。僕の肉声を動画にして置いておきます。※

youtu.be

 

あれですね、えーと…にせん、にじゅう、さん…? いや、よねんになりました。もう。

2024年の、えー2月21日のあ…さ? 早朝? もう4時くらいかな

まあ真っ暗なので時計が見えないんですけども

まあ… はい えへっ… 去年のね11月にわたしちょっと薬物乱用をして、

自殺未遂みたいなことをしちゃって、ちょっと、大騒ぎになって、

そっからずっと実家にいるんですけどもね

エヘッ 実家での生活も4か月を迎えましてね

いやなんか、良くもならず、悪くもならずみたいな感じでね

死にてえな 死ぬの失敗しちゃったな みたいな感じで

どうやって生きてこうかな~ こわいな~ みたいな?感じで

眠れねえ夜を過ごすみたいな まあ、そんな感じだったんで

・・・

僕のブログを読んで、熱心に読んでくれてたISHR君っていう

まあ、演劇観に来…人格社の演劇観に来てくれてた後輩がひとりいたんで、

ちょっと、DMで、なんか、自殺未遂する前に、「会いませんか」みたいな話をしてて、

ま、結局自殺未遂をしちゃったんでね、その話立ち消えになっちゃったんだけど。

ISHR君が山形に帰ってきたって、Twitterで言ってたから、

昨日、だから、2月20日ね、まあ、会ってきましたよ。昨日。いやぁ楽しかったなあっていう。

なんだろう、ISHR君も僕も結構… 百合、が大好きなオタクで、

で、結構大学の勉強に絶望してるみたいな感じで、

気は合うんだけど、なんか話がどんよりしてて、じめじめして、でも、なんか…

うん… 気の、合う、友達みたいになれたな、ていうふうに僕は思って、楽しかったんだよね。

で、やっぱISHR君は、僕が書くブログを好きで読んでくれてるからさ、

なんだろう、これから僕がどんなことを書こうとしてるかみたいなことを、喋ったんだよね。

なんか、ISHR君、なんか喋るのがあんま上手(得意)じゃないみたいで

「なんか僕ばっかり喋っててごめんね」って言ったんだけど

「いや、全然楽しいです」っていうふうに言ってくれたから、

なんか、気持ちよく喋っただけの回だったんですけども

あの、シャンソン物語(喫茶店)は、ワッフルと、コーヒーは、おごってあげたんですけどね、

ま、大した額じゃなかったと

ま、最後、あの、駐車場出るときあの50円足りなくて、もらったんだけどISHR君から

まあ、そんなことはいいんだけどさ、

で、まぁ う~ん…

まぁ… うん… そうだね…

ま、カリフォルニア日…記の、「あたいの夏休み」前後編

 

yabusaka-nikki.hatenablog.com

yabusaka-nikki.hatenablog.com

 

姐御が出てくる回が出てくる回が面白いって言ってくれたからさ、姐御の話とかも結構したんだけどさ そこつかながりでさ、民俗学、説話とかの話にもなってさ

して、最後帰り車の中とか、あとモスバーガーの中とかでさ、

あの~

虚構・嘘つけるって、人間にとって、とても大切なことなんじゃないか、

人間として生まれたからには

人間として生まれて、苦しみながら生きていく中で

存在しないもの、虚構を信じられるってことは、ひとつの喜びであって、数少ない喜びのひとつであって、もう、それは祈りみたいなもんだと、思う。っていう、

そう、”知恵の実”なんだよねっていう、そうね

 

ISHR君とエヴァの話とかも今日いろいろ盛り上がって、

旧劇のほうが好きだとか言ってたんだけど

 

まあ、そう、イマジナリーの世界。

内面世界。

自分の内面世界。

A.T.フィールドの内側の内面世界と、

その外で生きる無数の他人たちと、

世界という、他者の生きる世界

その、自分の内面世界の拡大をやめて、外に踏み出すみたいな。

そういう話を、なんか、久々にして、

僕がいままでどういうことを書こうとしてたのか

なんでバーチャルYouTuberになろうとして、肉体を捨てようとして、

自分の内面世界だけの世界にアセンションしようとしたのかみたいな

そういうのが整理されてきて、

なんか異様な興奮を覚えて僕は帰ったんですけどもね。

そう。だから、僕がフィクションを書けない。

その… ISHR君がいちばん面白いと言ってくれた、

「あたいの夏休み」(前後編)っていうのも結局僕の体験ベースの話だったから、

フィクションじゃなくて、本当に起きたことを書いてるだけ。

だから、嘘を書いて面白くなりたいんだよね。僕は。って話で。

だから、う~ん… その民俗学、姐御がやってる民俗学みたいなの、説話。

伝承とか信仰ってのは、結局その、事実ではないことを、信じることによって生まれる。生まれてきた。文化。の、話だと、僕は認…理解しているから、

それは結局人間の認識・文化を作ってきた、から

そう、嘘って、人間にとってとても大事なこと。

嘘を信じる。

オタクの集団幻覚とか僕好きだしね。

だからやっぱ、”知恵の実”なんだな。『嘘』って。っていうの。

人類の叡智の結集が、だから~あの、『毎日ダウナー系のお姉さんにカスの嘘を流し込まれるASMR』なんだな~ って言ったらISHR君爆笑してたんですけど。

んで家帰ってきてから、疲れて寝ちゃって

なんか、飯食い終わったの8時半くらいで、

9時から、12時くらいまで寝ちゃって、そのあと全然寝れなかったんだけど。

あの~ こっからは あの 私が考えた 

なんか、突発的に考えた脚本の話ね。

なんかやっぱ急に演劇やりたくなっちゃったんだよな

演劇面白がってくれる人いるっていうかなんか、

姐御とかmzotさんとかKNさんとか

一緒に演劇やってた人たちのことが懐かしくなるとかってね、急に。

あと、Y田くんとかね、S龍くんとかK山くんとかね。

 

                《ここから延々と脚本のネタ》

 

…そういう話も絡めながら、なんか、一本、書 け て みたらいいかな~というふうに思ってますね。

え~ 中野桃園会館とかで超低予算でやれたらいいなみたいなことを考えて興奮してたら眠れなくなっちゃっいましたね~

で、まぁ、色々、なんか、寝れない間に、久々にボイスレコーダーに電池とか入れてみたりしてね、

まあいろいろ聴いてたんですよね。

『三年王国』のときのいろんな録音とかさ、

なんか、先生の声とか聴いてたりしたんですけどね

まあ、mzotさんとか、KNさんとかね、K☆くんとか、山↓さんとかの、あと姐御の声とかも聴こえてきて、

懐かしいなあ、演劇やってた頃がいちばん楽しかったのかもしれないな。っていう。

なんか、あの頃の輝き… が恋しくなってまた演劇やりたくなっちゃったのかな、みたいな感じで。

え~ ちょっとなんか う~ん

やっぱ また東京が恋しくなったっていうか

あの、『三年王国』をやってた2月3月。あの春が、恋しい。

そんな感じかな。

う~ん… って感じ。

う~ん…

ま、ISHR君 友達に、なれたと、信じて。

ま、これからも東京で遊んでくれると嬉しいかなみたいな感じでね。

今日はこんな辺で、

は~い。

 

【追記】

Special Thanks ISHR君 また会おう

 

カメラロール供養

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1万5千枚

いったい何を撮った
見返さないと思い出さず、そして二度と見る必要のない写真に今回はフォーカスを合わせる。

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2017年の夏の思い出といえば、演劇部で台本を書いたこととミサイルが飛んできたことだ。文化祭の次の日は休みの日だったがやることもないので、部活の友達と男3人で当時映画館でやっていた「打ち上げ花火上から見るか横から見るか」みたいなタイトルの映画を観に行く約束をしていた。前の年の夏に「君の名は」が流行って、なんか似たような感じで宣伝されてたから流行りに乗ろうとしていたらしい。
その日の朝、北の将軍が打ち上げ花火を撃ってきた。
タチの悪い冗談みたいな事件だったが、結局観に行った映画はこのタチの悪い冗談よりも面白くなかった。
当時のおれたちは普通の高校生が外に遊びに行って何をするのか知らなかったので、ふらふらしていたら辿り着いた公園でトンボを追っかけて、飽きた頃に解散した。
翌9月の演劇の大会の朝にも北の将軍は弾道ミサイルと見られる飛翔体を東北地方へ向けて発射した。朝7時くらいだったと思う。おれは始発の電車に乗って学校に向かっていた。芝居のあるシーンが完成しておらず、そのシーンの登場人物とおれの3人だけで作る理不尽な朝練が行われる予定だった。市役所だか銀行だか農協だか裁判所だか偉そうな建物が並んでいる道をチャリで走り抜ける。朝7時のなので人の気配がない。田舎の通勤者たちは朝飯を食い終わった頃か或いは車の中渋滞したバイパスで苛立ちながらFMを聴いている頃合いだ。
突如背中のリュックに入っている携帯から聞きなれないサイレンがけたたましく鳴った。それと同時に人気の無い街のあちこちから同じ音が聞こえる。おそらく全ての携帯電話が同じ音を出し、人の気配のない街に鳴り響いた。
微妙なタイムラグがあるのか、サイレンは折り重なり奇妙な旋律となっていた。オーケストラの奏でる音楽がホールに響くのと違い、街そのものが楽器になったようなおかしな感じがした。
朝練には全員集合したがろくな練習にはならなかった。あのシーンがなかなか完成しなかったせいでその顔ぶれでしばしば集まる必要があったが、あれ以来部活であのメンツになると脳裏に飛翔体が浮かぶようになってしまった。

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単純に、美しいと思った。
螺旋の造形と、斜めからさす陽光がうねりの間に生み出す陰影が、そしてコーンに刻まれた規則的なパターンとそれを握るおれの手に表れているしわ。

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首都圏研修(決して修学旅行ではない)とかいう学校の行事で東京に行った時の写真。自由時間に一人で上野の国立西洋美術館に行った時になんか撮ってみたものだ。
上京したあとのことだ。おれは秋葉原から上野まで歩くのがなぜか好きで、上野駅を利用することがほぼない。なぜかある日、高2の時の研修を思い出してあの時の上野駅公園口を探しに国立西洋美術館の前に行ってみたら何もなくなっていた。かなり一生懸命探したが見つからず腹立たしい気持ちになって帰った。帰ってからどうしても納得いかなかったので調べてみたら、公園口は改修工事で出口の位置ごと変わっていたらしい。後日行ってみたらまるで別のものが全く違う場所に公園口として存在していた。
東京って恐ろしいなと感じた出来事のひとつである。

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高3のとき、演劇部の台本の改訂作業をしていた時であった。高2の夏からずっと同じ台本を手直ししていて頭がイカれたのか、坂口安吾の部屋みたいにしてわざと部屋を散らかしてみた。散らかしてもこの部屋は国語便覧には載らないことぐらいわかっていたのですぐに片付けて寝た。

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文化祭の演劇部の公演は泊まり込みで準備する。毎年文化祭は土日に行われるが、おれは1年2年の時はこの土日の間に家に帰ったことがない。引退した後の3年の文化祭の土曜の帰り、自分が家に帰れる事実に驚愕し戸惑いながら撮影した。雨に濡れた道路を遠くの信号機の光がやけに眩しく照らしている。8月末。これから秋へ向かい雨が降るごとに寒くなっていく。その前触れを感じるいやにつめたく湿った空気だった。

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刑務所を脱走し、瀬戸内海を泳いで渡り(かどうかははっきり覚えていないが)結構長いこと逃亡し続けて全国的に話題になった男がついに捕まった時の言葉だ。誰しも自分の運命を受け入れなければならない時がある。常に逃げ続けるような高校生活を送っていたおれは、平尾受刑者が至ったこの境地に畏怖の念を抱いた。

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冬にプールの出番はない。しかしちゃんと存在している。勉強をしない受験生であったおれも同じように、無意味に校舎をふらふらしてこんな写真を撮っているがちゃんと存在していた。プールには来年も夏が来る。おれにも多分来る。だが、雪に閉ざされ白黒になった視界の中で過ごすとそんなことも忘れる。

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武道館で行われた日本大学の入学式である。こんなん撮らずにはいられないだろう。2019年の入学式。僕にとってはコロナ以前の旧来の生活様式の象徴のような光景となった。おそらくここにいた奴らのほとんどはすでに卒業しているに違いない。当時18歳のおれは全員を恐れ、何かの間違いで全員死なないかなと思っていたが、彼ら彼女らもあのわけのわからんオンライン授業を2年間受けて、世の中に多かれ少なかれ幻滅したに違いない。大学5年生になった今やおれは彼らを応援したくなった。いろんな色の頭たちの前途に幸多からんことを。f:id:ryotarookuyama:20231214202938j:image

500円玉貯金にハマっていたが、次第に目的が節約から支払いを通じて500円玉を得ることになっていき、やがては500円玉が欲しくて欲しくて仕方がなくなり、最終的に出て行く金が倍になったことに気づいた時、おれは貯金箱を持って銀行へ行き、全て口座に戻した。500円玉貯金をはじめてから5万円が口座から出ていき、この日2万5千円が口座に戻った。

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前述の通りおれは秋葉原と上野の間を歩くのが好きだ

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ガリガリくんをガリガリできなくてかなしい

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おまえはもう元の姿には戻れない

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「17分温めてください。」ほかにやることありませんか?

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元号が令和に移り、今上天皇が内外に即位を宣言する「即位礼正殿の儀」が執り行われた日、駆けつけた各国要人とともに陛下が行う食事会「饗宴の儀」。それと時を同じくしておれも「儀」を執り行った。魚肉ハンバーグを焼いたのだ。

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消費税増税の思い出 まだうちに余計なものはなかったが、これを機に増えた気がする。

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逆に体力がないとこれで生活はできない。当時は若かった。

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うつ病の診断が下り、ひとまず実家に戻った12月。電車の中から、忌み嫌っていた雪が見えた。ずいぶん久しぶりに見た気がした。これを懐かしく思うということは、山に囲まれたこの地から逃れられないという感覚をぼんやりとであるが覚えた。灰色の東京から逃げ出した先に暖かい光があったわけではなく、凍てついた駅のホームに降りるとともに脚ががたがた震えていた。

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上山城。なぜ緑色なのかはわからないし気にもならなかった。バカ殿とルイージマンションのコラボみたいで面白かったのだと思う。

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7月に地元に豪雨が降り、近くの川が溢れそうになった。おれは川のライブカメラを見てみた。非常事態で家の中やテレビの様子が異様な空気に包まれる中で見たその映像にはシン・ゴジラみたいな字幕がついていて、不覚にも面白いと思ってしまった。高台の小学校に避難所が開設され、そこに移るべきかどうかの瀬戸際だったため甚だ不謹慎だ。幸い被害はなかったが、かなりギリギリまで水位は上がっていた。

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運転免許を取って最初に向かった場所:TSUTAYA

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COVID-19(新型コロナウイルス)感染拡大により実家でオンライン授業を受ける日々が続いた。おれには趣味らしい趣味はなく、何か面白いものはないかと家中を物色していた。おれは古い父親の一眼レフカメラを発見し、勝手に使いはじめた。(当時はフィルムが700円で買えた。おれが地元でフィルムを買い現像していた写真屋は商売をやめてしまい、同じフィルムは今は2000円以上出さないと買えない。)
写真の腕もセンスもなく、何を撮りたいかもわからず、撮りたくなるような面白いものも身の回りにはあまりなかったが、ただなんとなくカメラのファインダーを覗いて、レバーを巻き上げ、ピントを合わせて、息を止めて恐る恐るシャッターを切ってみる。一瞬ファインダーの中は瞬きをするように真っ暗になり、両手で包んだ金属の重い塊の中からシャッターが切れるカシャンという音と確かな手応えが伝わってくる。これがただただ楽しかった。撮りたいものはやっぱりよくわからなかったけど、ただ撮るということがしたくて、とりあえずカメラを持ち出して、適当に撮って回っていた。現像から戻ってくきた撮影結果はだいたいは期待はずれで、こんなつまらないもののためにフィルム代と現像代を出したことに後悔をする。しかし、やはりまたシャッターを切りたくなる。あれをやっている間は楽しいから。だったらフィルムが入っていないカメラでやればいいのかもしれないが、素敵なものが写っていて欲しいという祈りのようなものがなければあの感覚は成立しない。もはや儀式のようなものであった。
適当に撮って変な写真を量産していたおれであったが、そんな時期に撮った写真でいちばん自信があって気に入っているのがこの『千歳山マンション』である。

もう一度ご覧いただこう。

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諸君からすればこれはただの千歳山マンションであろう。しかしこれはおれにとっては唯一無二の『千歳山マンション』なのだ。ちなみにおれはこのマンションに住んでいたこともなければ友達が住んでいたわけでもないしいつも見かけていたとかそういうわけでもない。つまりは千歳山マンションにはまったく持って思い入れがない。

なんならこんな写真撮った覚えがない。

こんなに空が綺麗だっただろうか。コンクリートの白と、雲の白はこんなにも違うのか。なにより、適当に撮っていても奇跡的に良い写真(当社比)が撮れることがあるのか。

これ以降、カメラロールには一見してわけのわからない写真が増える。
とりあえず撮る。なんとなく楽しいから。撮った後は知らん。というわけで本稿のような記事を書く必要が生じたというわけだ。

本稿で取り上げた、おれが自ら証言しなければ何が写っているか永遠に不明なままの画像情報であるが、まだまだある。
続けようと思えばいくらでもネタがあるが、大学1年の頃を思い出したあたりでちょっと辛くなってきたので本稿はここで筆を止める。

筆は止めるが、撮影行為は続く。

 

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思ひ出 (未完)

 

2023年3月

3月のある日、夕方だったと思う。演劇の公演が終わって毎日ごろごろしていた。部屋で寝転がっているとき、母親からLINEが送られてきた。「これが届きました」郵便物の封筒が写った画像が添付されていて、その郵便物の差出人は「日本大学経済学部」であった。赤い字で【重要】と印字され、太い赤い線で囲ってあった。
僕は即座に母親に電話をかけた。
「父ちゃんは帰ってきたか?」
「まだだよ」
「明日山形に帰るからその封筒はおれが開ける。だから父ちゃんに今夜その封筒を見せるのはよしてくれないか?」
母は了承してくれた。
26単位を豪快に落とした去年の春、僕は実家に帰るも、留年した事実について自分から言い出すことが出来ず10日間ほど特になにをするでもなく過ごしていて、両親もこの話題には触れようとはせず僕が自分から切り出すのをただ待っていた。長い冬が終わりつつあり少しずつ雪が溶けていくのどかな春の山形で、いやな緊迫感が常に漂っていた。とうとう僕が東京に帰らなければならない日がやってくる。朝の新幹線に乗る前の夜のことだ。夕食が終わっても父親がネットフリックスを見始めない。明らかに誰も見ていないテレビ番組がただ流れている。母親も座卓の前で正座している。弟は2階の部屋で音ゲーをしている。「おまえ明日帰る前に行っとくことあるんじゃねえか」という父親の一言から、僕の号泣会見が始まった。
あれから一年、母親は僕の「その封筒はおれが開ける」という発言から、少なくとも僕が自分から話を切り出す「覚悟」があることを読み取り、その申し出を了承したのだろう。
僕は今年、30単位を豪快に落とした。去年より落とした。実家に届いたその封筒には、それはそれは恐ろしい現実が記された文書が入っているに違いない。僕は実家に帰り、父親の立ち会いのもとその郵便物を開封した。

卒業延期について(通知)
成績表ではなかった。卒業延期なんぞ去年の春からわかっている。そんなわかりきったことわざわざ大袈裟にに書面で送ってくんじゃねえ。
僕と父親はあははははと笑って、大学のポータルサイトを開いて調べてみると成績発表は3月の末にならないと保護者のアカウントからは照会可能にならないらしい。当然、僕のアカウントには通知が一度とどいてはいるが。
それから、僕は両親がいる手前、地元のいくつかの企業を相手に就職活動の真似事のようなことをして両親を安心させて、そして成績発表の前にそそくさと東京に帰った。
3月の末、再び実家から電話がかかってきた。
「おい、これ去年の成績表じゃねえのか? ほとんどなんにも変わんねえぞ?」
それはそうだ。新たに8単位しかとってないんだから。
僕は畳の上で正座してスマホを耳に押し当てていた。叱責の言葉に対し、頭を下げて「もっともでございます… 反省しております…」と消えそうな声を発した。そんな安易なパフォーマンスなどなんの意味もない。父親は冷静な人間だ。起こってしまったことをうるさく言っても仕方がないと言って、この1年でどうにかなるんだよなと確認された。1年間の履修上限は40単位。僕の不足単位は38単位。どうにかなるギリギリである旨を伝えた。
「就活頑張ってるのは見ててわかったから、とにかく授業をなんとかしろ。卒業できないことにはどうにもならん。あと、今年はくれぐれも演劇だけには関わらないでくれ。お前が元気なときとそうじゃないときがあるのはわかってるし、それは病院にかかっている以上仕方のないことだ。だけど、極端に元気がなくなるのは、演劇が関係しているんだろう?」肩に力が入り、ぎゅっと目をつむり、うつむいて声を出した。
「おっしゃるとおりでございます。」
電話を切ると、僕は畳の上に寝転がった。

ギロチンの刃はいつも上の方で待っていて、あれが降ってくるのも時間の問題なのだろうな、と常に僕は考えていた。高校のときも、大学に入ってからも。

いままで漠然としか認識していなかったギロチンの、その刃の先端がいま、光って見えた気がする。しかし、あのギロチンの刃が降ってくれば終わりということではなく、それを節目として、今度は別の生を生きていかなければならない。もしこれが刑罰なのだとしたら、僕が犯した罪とはなんなのだろう。存在することが罪なのならば、みんなどうやって許されて生きているのだろう。僕は誰に許しを乞うているのだろう。
こういうことは昔から飽きるほど考えてきて、考えても仕方がないことはわかりきっていたので、僕はとりあえずギロチンの刃の下で寝っ転がってTwitterとかInstagramを見る。3月末。僕と同じく平成12年度に生まれた者は大学を卒業する。同級生たちは卒業旅行の様子を連日投稿したり、袴やスーツ姿で学位記を持って大学の建物の前で撮った記念写真などを投稿したりする。4年間を遂げたのだ。自ら選び、課された4年間を全うし、その証明として旅行に行ったり記念に写真を撮ったりするのだ。当然、4年間を遂げず、課されたものを全うせず、4年を5年に伸ばした僕に記念すべきものなどなにもない。それでも、大学から今年の卒業式の案内のメールが来る。
卒業をした彼ら彼女らの4年間と、卒業延期通知書が来た僕の4年間は別物であろうが、4年間は4年間である。僕だってその時々では必死に生きていたはずである。
行こう。ギロチンの刃が待っている。でもその前に、振り返ってみよう。足跡をたどろう。

 

 

高校編

数ⅢとCNNと『女生徒』

大学に入れた。というよりは、入れてしまった。といった方が正しいかもしれない。私の母校である誇り高き県立地方進学校では、1年生から「どこの大学にも入れんぞ」という脅し文句をよく先生方から賜る。事実として選ばなければ入れる大学はあるだろうが、先生方が言いたいのは「選びたければ」どこの大学にも入れんぞ、ということだろう。実際、入学できればどこでもいいと思っている生徒は全くいなかったし、僕だってどこでもいいわけじゃなかった。あの場にいた少年少女たちは選択の幅を可能な限り広げるために3年間特殊な訓練を積んでいた。高校での三年間はひたすら選択の幅を広げるためにあり、限りない選択肢のなかから自分のものを選び取るのは、その後の段階の大学に入ってからのことであるとされていた。

一直線の道がのびているように見えて、なんとなく非常に遠回りかつ無駄の多いようにも見える。しかしそこに疑問を呈したところでほかに辿る道は存在しない。気が進まないがまあそんなことは全員同じだし先生方だってたどってきた道であろう。

特段勉強が好きなわけではなかったので、二百数十人の秀才の中で僕はある種の無力感のようなものを薄っすらと感じながら高校生活を歩み始めていた。

私たちは、決して刹那主義ではないけれども、あんまり遠くの山を指さして、あそこまで行けば見はらしがいい、と、それは、きっとその通りで、みじんも嘘うそのないことは、わかっているのだけれど、現在こんな烈しい腹痛を起しているのに、その腹痛に対しては、見て見ぬふりをして、ただ、さあさあ、もう少しのがまんだ、あの山の山頂まで行けば、しめたものだ、とただ、そのことばかり教えている。きっと、誰かが間違っている。

 

太宰治「女生徒」より

「女生徒」という本を読んでいた。1年の春、右前の席の奴が1年なのに数Ⅲの参考書を解いていて、右の席の奴は朝休みにスマホで英語のニュースを見ていて、また同じクラスにいた生徒は連日公欠でテニスの試合に出ていたのに久々の英語の授業で当てられたとき完璧に答えていたのを見て、なんかこいつら気持ち悪いな、といったら申し訳ないのだが、これが当たり前ならば自分の立場とはただの頭の悪い奴ということになるのがたいへん恐ろしく思えてきて、だとしたら教養のひとつやふたつ身に着けてみようと図書室で適当な本を借りてきて電車の中や朝休みに読むようになったのである。しかし、そこで僕が身につけたのは「教養」というよりは、「思想」(のようなもの)であった。

いまに大人になってしまえば、私たちの苦しさ侘びしさは、可笑しなものだった、となんでもなく追憶できるようになるかも知れないのだけれど、けれども、その大人になりきるまでの、この長い厭な期間を、どうして暮していったらいいのだろう。誰も教えて呉れないのだ。ほって置くよりしようのない、ハシカみたいな病気なのかしら。でも、ハシカで死ぬる人もあるし、ハシカで目のつぶれる人だってあるのだ。放って置くのは、いけないことだ。私たち、こんなに毎日、鬱々したり、かっとなったり、そのうちには、踏みはずし、うんと堕落して取りかえしのつかないからだになってしまって一生をめちゃめちゃに送る人だってあるのだ。また、ひと思いに自殺してしまう人だってあるのだ。そうなってしまってから、世の中のひとたちが、ああ、もう少し生きていたらわかることなのに、もう少し大人になったら、自然とわかって来ることなのにと、どんなに口惜しがったって、その当人にしてみれば、苦しくて苦しくて、それでも、やっとそこまで堪えて、何か世の中から聞こう聞こうと懸命に耳をすましていても、やっぱり、何かあたりさわりのない教訓を繰り返して、まあ、まあと、なだめるばかりで、私たち、いつまでも、恥ずかしいスッポカシをくっているのだ。

確信した。「これはおれの話だ」と。間違いない。なにか巨大な悪がこの世には潜んでいてみんなをだまして、気が付けばみんな無意識にこの巨大な悪に加担している。みんな苦しんでいるのに見て見ぬふりをして、痛みに気付いているのに自分をだまして真実から遠ざかっていく。みんな巨大な悪の巨大な力にねじ伏せられているんだ。一切は巨大な欺瞞だ!

(いまになって僕はこんなふうに言葉を弄ぶことが出来るようになったが、当時はこのような言葉を持ち合わせてはおらず、よってそのとき太宰の女生徒の一文は自分の感じていることを正確に出力できる唯一の言葉であったのだ。)

この一文を始めて読んだのは昼休みの図書室だったと思う。僕は昼休みに弁当を食べ終わると、教室の中に話す相手もいないし、僕みたいな奴はほかにもクラスにはいたけども次の授業の予習などをしているので、僕は真似して予習なんぞするわけもなく、自然とその場に居ることが嫌になるので図書室に行くことになった。その矢先のこの天啓のような一文である。中庭に向いた背後の窓からはやわらかな光が降り注ぎ、その光を見上げるとどこまでも青く高い空が視界に入った。僕は空がこんなふうだったことを知らなかった。再び視線を目の前に戻す。中庭越しに教室の窓が見える。中では生徒たちがみんな上から何かに押されているかのように下を向いていた。始業の時間が迫っていたのだろう。奴らの視界は机の上。一方で、僕はこの美しい空の青を望み、降り注ぐやわらかい光につつまれながら謎の闘志を燃やしていた。彼らはこの空の青を知りはしない。この暖かい光を自らの背中で遮ってしまっている。この美しい世界を、巨大な力に欺かれる前に見ていたはずの美しい世界を、いま確かに見ているのはこの建物のなかで僕のほかにはいないと、大きな喜びを勝ち得たかのように感じていた次の瞬間であった。図書室のスピーカーから予鈴の音が鳴った。僕は教室に帰らねばならなかった。これだ。このチャイムだ。僕はこれを打倒しなければならない。憎むべきこの巨大な抑圧と迫害をいつか白日の下にさらし、この邪知暴虐たる巨大な悪を暴かねばならぬ。そうして僕は次の授業中も本を読み進めた。

当然、自分がいかれてしまったことに気が付くのには時間がかからなかったが、それ以上に学業が取り返しのつかないことになっていた。夏休みが明けて前期の期末試験があったあたりか。勉強しなくなって2~3か月と、今思えばなにをそんなに絶望しなければならないのか。取返しがつかないなどあまりに大袈裟ではないかと思う。しかし、当時の私の前には、自分が怠けていた証拠が、積みあがった未提出の課題という形で可視化されていた。流石は誇り高きわが県立進学校である。日々課される学習をためていくと、これだけ迫力のある景色を見ることが出来るのだ。学校で身につけた価値尺度しか備えていない齢15の僕は、この暴力的なまでに強力な有罪の証拠を前にそれはそれは深く絶望した。何度、今日から生まれ変わって真面目に勉強しようと試みたかわからない。しかし、生まれ変わるたびに現実に直面しなければならず、そのたびに絶望し、正気でいるには堕ち続けるほかはなかったのである。

かわいそうに。いまやニッコニコしながら可能な限りふざけて当時について述懐しているが、そのときの僕自身はいたって本気(マジ)なのである。若い、というよりは、幼かったのであろう。

2年2組17番

高1から高2にあがる春休みがはじまる前の修業式、僕は職員室に呼び出された。絞首台にのぼるような気持で職員室に向かったが、説教はされず、ただ、春休みに定期的に宿題が進んでいるかどうか見せに来い。と言われた。僕は春休み、そのためだけに学ランに袖を通し電車に乗って学校へ何度か向かった。わからないところは先生が教えてくれた。授業中は僕をいないものとして扱っていた先生が、僕一人を相手にしていると思うと、なんだかやる気になったのである。僕が図書室で「天啓」を受けたとき、憎く思った相手は、この人ではなかった。では、誰だったのだろう。何だったのだろう。

僕は春休み明けの試験で文系120人中60~70位くらいの点を取った。去年240人中240位だったのが文理半分になってよくわからなかったが、とりあえず最下層でないことに安心し、生きていけそうな気がした。この時だけである。この時を最後にその後1年と半年は真面目に勉強することはなく、このだいたい70位くらいの順位が僕が高校生活でたたき出した最高得点となった。

形だけ幸先の良いスタートを切ったからか、学年が上がって高校二年生になると僕は落ち着きを取り戻す。流石に2周目にもなると相変わらず漠然とした恐怖はあるもののいちいちそこまで絶望することもなくなっていた。僕は文系のクラスに進んだが、去年同じ教室で数Ⅲを解いていた奴と朝休みにCNNを観ていた奴は理系クラスに行った。数ⅢとCNNは僕が授業中眠っているのを発見するたびに、つぎの休み時間に「きみ、さっき寝てたよね」と確認してくるのである。屈辱であった。優秀な人間から直接レッテルを貼られることほど耐え難いことはないのであるが、今思えば教室で一言も発さない僕に対してなにか会話の糸口を見出そうとしたときにそれしかなかっただけの話なのであろう。イジりですらなかったのだ。あまりに、多感すぎた。

演劇部で脚本を書いた奴

高2の時に演劇部で脚本を書いた。なんで書こうとしたかは思い出せるようで思い出せない。かなり苦しんで書いたし、なんなら一人で書き終えられず一部他の人に書いてもらって文化祭の初演を迎えたが、あまりにエピソードが多すぎるので割愛する。これがどういう作品なのかは、冒頭を引用するだけでだいたい理解してもらえるだろう。

 

音楽:ショスタコーヴィチ交響曲第五番ニ短調『革命』第四楽章 アレグロ・ノン・トロッポ」爆音で轟く。緞帳があがるちょっと前から既に音楽と共に破滅のような笑い声が聞こえる。舞台の上には高校の普通教室が、コの字型に配置されたパネルによって表現され、舞台上の空間を圧迫するかのような様相を呈している。正面のパネルには黒板があり、上手には引き戸がある。七脚の椅子が配置され、それぞれ男女の生徒が黙々と机に向かっている。中央に机が一脚。その上に一人の男子生徒が乗っている。開幕前から高笑いを響かせている気違いはこいつだ。

少年              ハッハッハッハッハッ! 見ろ! 人がゴミのようだ! ハッハッハッハッハッ! 最高のショーだと思わんかね? ハッハッハッハッハッ!

黙々と机に向かう他の生徒たちを侮辱するように声高々に言い放ち、机から降りて教室の中を動き回る。

少年              時はまさに期末テスト。今しがた問題用紙と回答用紙が配られたが、俺にはこの紙切れを受け取る以前に気力なんてものはありはしなかった お察しのとおり俺は試験勉強など一切していない。何故か?面倒だからに決まっているだろう!こいつらを見ろ!ここにいる全員がまるで上から何かに押されているかのように下を向いている。とんでもない絵面だ。地獄絵図だ。そんなに点数が欲しいか。その数字に一体何の意味がある?その数字の向こうにある将来に一体何の価値があるというのか?その先に待っている将来を、年を追うごとに退屈になっていくばかりの平均化された諦めの人生を。人質にとられている将来には今この時を犠牲にしてまで手に入れるほどの価値など無いというのに。

少年は1人の生徒の傍らに行き、ちょっかいをだす。

少年              おいおい、ずいぶん苦労して解いているようだね。まったく、馬鹿馬鹿しい。

するとその生徒が突如立ち上がる!そして叫ぶ!

生徒              うおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!

怒り狂ったその生徒は少年のむなぐらを引っ掴み叫びと共にめいっぱい少年をぶん殴る!殴る!殴る!それと同時に教室の生徒たちが次々と立ち上がり暴れ始める。悲鳴と怒号が飛び交う。みんなテスト用紙を引き裂き、ぐしゃぐしゃに丸めぶん投げる。椅子や机を振り回し暴走し始める。殴り合い。罵り合い。そして、少年が黒板をぶっ叩いたその瞬間、黒板がパネルの向こう側に抜け落ち、四角い穴から強烈な光が漏れる!音響も瞬間的に厳かなバロック音楽に変わる。すると正面のパネルが真っ二つに分かれ、その中から何人もの天使が躍り出る。先ほどまでの暴力と罵声の狂乱と対極をなすようにゆっくりと舞うように、この世のすべての美を象徴するかのごとく微笑みと清らかな笑い声と共に舞台上を一気に光で満たす。憤っていた生徒たちは天使を目の前に表情を変え、天使たちと一緒に笑顔で教室を元通りにし始める。少年でさえも無意識のうちに従順になり自ら着席してしまった。すべてが元に戻ると、天使たちは、登場と同じように煙のように舞台上から消える。音楽もフェードアウトする。再び生徒たちは黙々とテストを解き始める。))))))))

 

実話に基づいた涙なしには語れぬ物語である。僕は実際に英語の授業中に教師の一挙手一投足を原稿用紙に書き留め、彼の発した言葉は一字一句違わず脚本の台詞になってしまった。担任と二者面談したとき、あまりにも当たり前のことばかりを咎められて、終始僕の側は「はい」以外に言葉を発することが出来なくなった体験も、試験で出来が悪かったものだけが集められる追試の会場で初めて言葉を交わした相手と仲良くなったことも、ラーメン屋に置いてあったラジオから聞こえてきた番組も、演劇の大会で公欠が続いて久々に教室の自分の席に向かったら大量のプリントが机の中に押し込まれていて絶句し座らずにその場にしばらく立ち尽くすしかなかったことも全部そのまま書いた。勿論あの数ⅢやCNNのような者たちでさえ登場している。

ひどい目に遭っていたと思っていた自分の高校生活だったが、ネタにしてみると意外と面白かった。

この作品を文化祭で全校生徒の前で上演した。文化祭に限らず、式典だとか講演だとかで講堂の席に座らされるとみんな寝てしまうのだが、みんなずっと笑って見てくれていた。図書室で天啓を受けた日、窓から中庭越しに見えた教室の中の「奴ら」が、逆に僕の生き様を観ていた。後日、何人かの先生も面白かったと言ってくれた。僕だけが、舞台袖から自分自身の物語を眺めながらこの期に及んで「ああ、なんか情けねーな」と思っていた。打倒すべき相手はおらず、自分自身はこの後どうすればいいかわかっていなかった。

文豪ごっこをしているうちは平気であった。

この作品は演劇の大会に出品するものも兼ねており、作品は勝ち進み全国大会まで出場を果たした。高校演劇に詳しくない者にとっては意味不明かもしれないが、最初の地区大会が2年の9月にあったとして、全国大会は翌年、3年の8月に開催される。高2の夏から高3の夏にかけての丸一年以上を僕はこの作品の改訂に費やした。とはいえ、演劇部の部室に始まり、職員室の顧問の先生の机と、パソコン室と、印刷室を順番に回り、それ以外の時間は図書室でただぼんやりしていただけなのであるが、取り組むものが増えて自分の実生活が充実していると勘違いした僕は存在の不安をやり過ごし、1年の時は怯えながらだったものを、こんどはほとんど平気で学業を放棄していた。脚本上には「情けない現実」が事細かに描写されているにもかかわらず、それがそのままショーとして成立してから、僕はこの誇り高き我が県立進学校をテーマパークのように楽しんでいた側面すら今思えばあった気がする。現実が虚構に飲み込まれ、自身の実在は希薄になり、それに応じて抱える問題もどこか他人事になる。ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」の主人公ハンスに自身を投影しながら読んでいた時を再現すべく、自身が最も共感できるような登場人物と舞台と背景を生み出したところ、なんだか自身が抱えていたものが陳腐に見えてきてしまった。しかし、依然として自身の問題は解消されない。虚構の中で誇張すれば誇張するほど、現実の実感が矮小化されていくような、よくわからない状況にいた。そして、僕が書いた脚本は決定的な結末は迎えず、これといった答えは導き出さずに終わる。これが原因であらゆることが自分の中で循環し続けて抜け出すことが出来なくなっていった。この舞台は自己救済の手立てとなった一方で、自身を陥れる罠でもあった。

たった一言知らせて呉れ! “Nevermore”

さて、クラスの中では僕は数ⅢやCNNに比べてしまうとただの頭の悪い奴なんだと1年の頃は焦っていたが、高2の今や気が付くと僕は頭が悪いうえになんか演劇部で得体のしれないことをやっているやばい奴になってしまっていた。言い逃れは出来ない。だって頭は悪いし、演劇部だし、得体のしれないことをやっていたからだ。斯くして僕は開き直ることが出来た。変な奴だと思われるのが嬉しかったのかもしれない。張りつめた日々を抜けるとあらゆることが雑になっていき、自意識がゆるくなっていく。ある意味で、脚本を書いてから部活を引退するまでは悠々自適に過ごしていたと言えよう。
この高2の冬の頃は居心地が良かった。全国大会出場が決まると、演劇部が地元の新聞に載り、全校集会で表彰され、校舎の正門に作品名と僕の名前が書かれた垂れ幕が掲げられた。当然、その栄誉は演劇部の組織的な努力の賜物なのだが、やはり僕は浮かれていた。決定的なものを手に入れた気でいた。何が欲しいかわからず2年間駄々をこね続けてきたが、どうやら満足したようだ。前述の通り全国大会が開催されるのは翌年の8月である。これまで半年かけて作ってきたが、次の舞台は8か月先ということだ。なんだか嘘のようだったが、一区切りがついて僕は安息を手にしたような気でいた。相変わらず空は低く重々しく鉛のような色をしていて、たまに信じられないほど雪が降ったりして風景は色彩に乏しいものだったが、たどり着いた地点で見える景色がこれならば、それはそれでよい。苦痛は作り話の中に押し込められ、目を逸らしていたものは本当に見えなくなる。ただ、存在していることが楽になった。浮かれていられるなら永遠に浮かれていたかった。低く迫った鉛色の空が現在の僕をこの季節に永遠に閉じ込めて保存してくれれば良い。学校を劇場の中の箱庭にして、日々の苦痛を「おはなし」にして、僕自身はその一部になり、もう絵画のように動くことはない。動く必要がないからだ。これは一瞬の幻で、きっとこれ以上の幸いはこの先一切手に入らず、そして、現在の安息はすぐに失われるであろう。そんな予感めいたものが僕の中には常にあった。今見ている幻覚はそのうちなくなるのだから、今はただキマっているふりをして何も考えないようにしていた。この時だと思う、上で待っているギロチンの刃が見えたのは。

盆地の無慈悲な春

それでも、季節が変わって盆地に春の日の光が降り注ぐと徐々に雪が解けていき、少しずつ目に見える情景が色彩を取り戻す。暖かくなるにつれて、僕のこの誤魔化しはきかなくなっていった。鉛色の盆地の冬が終わると、雪と氷の下にあった土があらわになり香ってきて、迫るように街を取り囲む黒々とした山々がやがてうるさいほど緑色に変わっていく。思い出す。去年の今頃、何をしていて何に怯えていたのか。太陽の軌道が頭上、限りなく真上を運行する季節になり、盆地に降り注ぐ太陽光と熱が最大に近くなったころ、焦げそうになって頭がいかれた高2の僕は何をつくりだしたか、思い出す。なんでこの間まで自分は浮かれていたのか、すべての原因と結果が、辿ったその道筋が、季節が巡ってその気配を感じ取ると脳裏に浮かび上がる。幻覚は途切れ、そしてまた発狂する。

 

図書室

 昼休みや放課後はよく図書室にいた。高校3年生、夏休みまであと少しといった頃だ。体育祭を終え、運動部の最後の大会を終えて部活を引退した人たちは、夏休みに文化祭の準備が始まるまでの間、受験勉強に力を入れ始め、クラス一丸となって受験に備えつつ、夏休みになったら文化祭に向けて高校最後の思い出づくりを楽しんでいこうというような、そんな潮流というか機運を、教室の空間に僕は感じ取っていた。僕は思い出を作れる気がしなかったし、受験勉強なんてしていなかったし、何よりこの年が高校最後であることを受け入れることができなかったので、当然教室には居づらかった。教室が居やすかったことなんてなかったが、毎朝起きて電車にのってここに来なければ、家に居てももっと惨めになるだけであろうという、ただそれだけの理由で高校には不思議と毎日通っていた。

 そもそも僕は演劇部をまだ引退していない。去年の12月、僕の書いた脚本で演劇部の全国大会への出場が決まったニュースが学校に知れ渡ったあの朝は、さすがに教室へと意気揚々と足を踏み入れたような気がするが、あの冬から季節が巡り、2年から3年に上がったこの夏、いまだ演劇部員の僕はなんだかみんなに取り残されているような気がしていた。勉強をまるでしなかったので取り残されるような気持ちは高校入学以来常にあったけども、それに加えて大きな流れから自ら離れていくこの感じにはどうにもやりきれないものがあった。大きな流れを離れ、僕は図書室へ向かった。

 図書室には演劇の部長もいた。去年から同じクラスだった。彼女は勉強ができるが、やはり自分がまだ部活を引退していない身であることに居心地の悪さを感じていたのだろうか。しかし、2年のときから教室にいる彼女を見ていて、それまで居心地の良さそうな様子であったかというと、そうではないように僕の目には映った。僕には友達がいなくて、教室という空間に僕と僕以外の人々は同居はしているが、それだけのことであり交わることがないと割り切り、好き勝手な時間に弁当を食べたり本を読んだり寝たり折り紙をしていたりしていたけど、彼女は。友達がいないわけではない。楽しそうに話す声だってよく聞こえてくる。だけど、昼休みに友達とお弁当を食べ終わると、そのまま友達とおしゃべりでもしながら次の授業の予習でもするのかと思いきや、図書室に行って一人で本を読んでいたりしていた。僕は午前中の授業の合間にやることがなく、満腹の状態で眠りたかったので昼休み前に弁当を食べ終わっていて、だから昼休みはずっと図書室にいたのだが、そこに彼女がやってきて、不思議だな、と思ったりしていた。

 僕は本は好きだがたくさん読む方ではなく、図書室に行ってもいつも本を読みすすめていたわけではなく、ただ腰掛けてぼーっとしていたり、イヤホンで音楽を聴いていたり、書架の間をうろうろしてなんとなく背表紙たちを眺めながらふらふら歩いていたりしていたが、彼女はいつも同じ窓辺のベンチに腰掛けて、というか、靴を脱いであぐらをかいて、まっすぐ手元の本に視線を落としていた。昼休み、日は高く登り、彼女の背後の窓からは陽光が差し込む。本の上の活字を追う彼女の眼差しもそんなようなものだった。姿勢はとにかく気だるげで、靴どころか靴下も脱いだりして、時には寝っ転がっている時もあった。だけれども、活字を追う視線だけは真剣で、その表情は常に変わらず、きっとお話の中に没入しているのだろうな。と僕は思いながら、そんな彼女の様子を眺めるのが好きだった。昼休みの図書室にはあまり人がいない。彼女もまた図書室にはいつも僕がいることを知っていたが、僕があのベンチで読書する彼女の姿をなんとなく良いなと思いながらときたま眼差していたことまでしっていたかはわからない。たぶん知るよしもなかったであろう。次の授業のまであと5分を知らせる鐘が鳴る。鐘がなってももう少しだけならここにいられることを僕と彼女は知っている。そして、教室に戻りに立ち上がらなければならない頃合いもだいたい掴んでいた。それでも彼女がなかなか立ち上がらない時がある。きっと、読んでる本が面白いのか、キリの悪いところなのだろうな。と思いながら僕が彼女の前を横切って教室に戻ろうとすると、彼女は顔を上げ、二人一緒に教室へ戻った。しゃべりながらの日もあれば、そうでない日もあった。そういえば彼女がなんの本を読んでいるのか聞いてみたことはなかった。僕と彼女はあまり同じような本を読まない。彼女が本の話をするときは、表紙がきれいな本を適当に手にとって見たりすると言っていたことがある。彼女はいつもハードカバーの本を図書室で借りて読み、僕は学校からの帰り道の本屋で買ったいつも持ち歩いている文庫本を図書室で読んでいた。図書室の居心地の良さだけを僕と彼女は共有していた。図書室の中では会話は交わさない。ふたりで図書室を出て、扉を閉じてはじめて彼女の方から言葉を発し、階段を登って3階の教室につくまでの短い間話しをしていた気がする。たまに彼女が図書室にいなかったときはなんとなく寂しく、いつしか今日はいるかなと、いつものベンチを一瞥する習慣が僕にはついていた。そんな夏であった。

平成最後の夏

2018年の夏は平成最後の夏とよく言われていた。平成が終わっても夏は来るだろうに、あらゆる事物に「平成最後」という修飾がなされ変な特別感を演出されていた。世の中が毎年やってくるただの夏に余計な感傷を付加してエンタメみたいに消費していた。当時の僕が何に戸惑い何に傷ついたとしても、それはこの悪ふざけみたいな感傷イベントの大きな流れの一部に過ぎないと思うと腹立たしくすらあった。立派ではなかったかもしれないが、僕だって必死にあの夏を生きていたのである。その記憶にすらも中身のない便乗商売みたいな印象がこびりついて離れない。これは僕の高三の夏の話であり、平成最後の夏の話ではない。はずなのに、夏服の白い半袖シャツと一緒にまとっていた僕の憂愁と、Twitterで見た『エモ』の区別があいまいになってしまう。茹で上がるような熱気と湿度の中、強すぎる光に照らされてすべてが白飛びしぼやけた視界。それを背景に、不明瞭な嘘みたいな記憶が今にも消えそうに漂っていた。あれを夢だったとは言いたくはない。だが、あまりにも夢でしかなかった気もする。2018年の夏を区切りにしてあらゆることが強制的に終了した。僕がしがみついていたのは決して平成なんかじゃない。

そういう時代だった。そういう時代だったから仕方がない。とは、絶対に認めるわけにはいかなかった。おれの時代が平成と一緒に終わる。そんなことは許されない。区切りがついたらなんでも切り捨てられると思うなよ。なんにも変わりはしねえんだ。たとえ平成の夏が二度と来なくても、演劇部員から受験生に身分が変わっても、つきまとうものをそう簡単に断ち切ることはできやしないんだ。勝手に話を進められたのでは困る。ふざけるな。勝手に終わるな。

さて、僕の代の演劇部は平成最後の全国大会に出場したわけだが、そこでの評価はあまり好ましいものではなかった。文化祭、地区大会、県大会、東北大会とそれぞれの講評で幾多のお褒めの言葉を賜り、誇りを胸に万感の思いで突き進み全国大会まで駒を進め、わざわざ10時間かけて長野県まで来たというのに、去年の7月からずっと1年間それでも慢心せず書き直し続けたというのに、審査員からいただいた感想は以下のようなものであった。

 

「いやあ、人生もっと楽しいと思うんですけどね、なんでこう登場人物はみんな絶望してるんですかねえ。でもまあ、この高校の皆さんは、絶望してるから仕方ないんでしょうかねえ。」

 

平成の精神に殉死

さて、普通に秋が来た。平成最後の夏が終わったので平成最後の秋がやってきたというのに世の中はあまりありがたがらなかった。僕は平成最後のクリスマスを、平成最後の正月を、平成最後のセンター試験を、平成最後の卒業式をこれから見据えていたというのに。来年春からはじまるらしい得体のしれない新時代と得体のしれない進学した場合の大学生活或いは落第した場合の日々を拒み、もはや平成の精神に殉死するつもりで目を血走らせていたというのに、平成最後の夏を最後にして喪失を演出する奴は現れなかった。僕はすべてに喪失を感じていたというのに。みんな平成が終わっても普通になにも変わらないことに気が付いたからであろうが、僕の場合平成が終わったら全部終わるのである。2019年春より先の時代は存在してはならない。それゆえに平成の精神と殉死を遂げなければならなかった。

ひとりでもおれと一緒に平成の精神に殉死しようという奴はいないのか。

そんな奴はいない。あの夏を境にみんな顔色を変えてしまった。英語の授業中に先生に当てられて答えに窮して困っていたのは僕だけではなかったはずなのに、みんなそのうちこたえられるようになっていて、他人の不出来を安心の材料にしていた下劣な僕という人間はとうとう取り残されてしまっていた。

 

 

【小説】Good bye for now

ーまたの題名を『復活』


就職した年の夏、わたしは免許更新をしに地元に帰った。県外の大学に進学し、東京で就職したが、免許は大学3年の夏に地元でとったので、更新しにわざわざ地元に帰らなければならない。
毎日営業でぐるぐる回っている首都高の環状線から北の方角へ外れると次第に景色は空と山と道路だけになり、わたしはうんざりとした気持ちになった。やれやれ。わたしはアクセルを踏み込み、右の車線に移って前のトラックを追い越した。

日曜の免許センターは混んでいた。平日は仕事があるので来れないので混むとわかっていても日曜に来なければならなかった。やれやれ。わたしは列に並んだ。地元の人間がたくさんいるので知り合いがいたら嫌だなと思ってずっと下を向いていた。
「次の方ぁ はーい、はただしおりさんですね。初回の更新になりますので本日は視力検査のあとに2時間の講習を受けていただきます。奥の教室へどうぞ。」
簡単な視力検査が終わると、教室に通された。社会人になってからこういう座学の教室で人の話を聞いていると学生だった頃を思い出して憂鬱な気持ちになる。やれやれ。わたしは学生の時と同じように教官の話に耳を貸しながら別のことを考えていた。
早く帰りたいなと思い始めた頃、教官は受講生にプリントを配り始めた。プリント?高校まではプリントで、大学に入るとそれはレジュメと呼ばれ、会社の会議で配られるやつはアジェンダとかいう。ここでは何と呼ぶか知らんが、わたしはその印刷物を前から受け取り一枚とって後ろに回した。やれやれ。学校みたいでなんか嫌だ。
「えー、ではいまから皆さんにはこの安全運転自己診断をしてもらいます。書いてある質問を私が今から読み上げますので、当てはまる場合はマルを、当てはまらない場合はバツを欄に記入してください。」
はあ。わたしはなんとなくこういうアンケートを書くのが昔から好きだった。人の話を黙って聞いているより少しは面白いと感じるに過ぎないのだろうが、こういう質問の意図をあれこれ考えて模範的な回答をでっちあげるのがなんとなく楽しいなと考えていると、教官が言った。
「えー、こういうのは問題文みるとなんとなく正解がわかっちゃう人もいると思いますが、皆さんが日常的に運転するときの安全への意識を確認する目的ですので自分の心の声に正直に耳を傾けて回答してください。」
へえ、面白いじゃあないの。わたしは運転にはそこそこ自信がある。営業で毎日首都高をぐるぐるしているわたしは、いかに路上の秩序を自分自身のものにするかに妙なゲーム性を見出して楽しんでいるのだ。やれやれ。路上でルールをわきまえずイキっている連中とは違い、わたしは道路交通法という正義のもとで、正義の味方なのだ。わたしが路上の秩序なのだ。わたしは路上のエリートだ。やれやれ。わたしの仕事中の気晴らしはこういった誇大妄想くらいしかない。
「えー、ハンドルを握ると性格が変わるという人もたまにいらっしいますが、やっぱり車の中って密室ですから、自分の世界になっちゃうんですよね。普段意識できてない問題があるかもしれませんので是非ご自身を客観視してください。」
なに。こいつわたしに向かって言ってやがるのか。別に運転中にそういうモードになってもいいじゃないか。よかろう。正直に答えてやる。わたしは道路交通法という正義の味方なのだ。路上のエリートなのだ。
やれやれ、わたしは心の声がデカすぎるが、別にわるいことじゃなかろう。そうだよな?就職してからわたしの心の中にハードボイルド私立探偵フィリップ・マーロウが住み着き始めたことを見透かされたようでわたしはむきになってしまった。やれやれ、教官。てめえもわたしのこころを覗いて内心サブカル女wwwwwとか言うとるんやろ。チッ
「ではーいちばん上から読んでいきますねー」
よろしい。はじめたまえ。
「わき見をしていて、ハッとすることがある。」
ふん。このわたしに限ってそんなことはあるまい。バツ
「前方があいていると、ついスピードが出てしまう」
それは愚か者のすることだ。真の快楽はただ速く走ることではなく流れに乗ってうまく走ることだ。バツ
「割り込みをされそうなときは、車間距離をつめて走ることがある。」
愚問だ。車間距離は精神状態を写す鏡だ。路上の秩序に従うには、常に冷静であることが求められる。バツ
「夜間や悪天候の時はなるべく運転しないようにしている。」
…… 仕事だから仕方なかろう。それにわたしは雨女だ。…マル
「運転中、よくオーディオ、テレビの操作をする」
…… あるじゃないか、お気に入りのアルバムの中でもあんま好きじゃない曲とか、いまそういう気分じゃないのが流れてくるとき。一曲とばすだけじゃねえか。…マル
「歩行者や自転車に、自分のペースを乱されるのはいやだ。」
…… 自分のペースを乱されるのはみんな嫌じゃないのか…? …マル

「考え事をしていてハッとすることがある」

なんだ、これは?

「昔通った場所を再び通ると、そのときのことを思い出す」…マル
「助手席に乗せていた人が降りてひとりになると、さっきまで隣に座っていた人間について少しの間考える」…マル
「たまに窓をあけて風を浴び、感傷にひたることがある」…マル
アスファルト タイヤを切りつけながら 暗闇走り抜ける」 …マル
「道端で高校生のカップルが仲良くしているとつい気になってしまう」 …マル
「やりなおせればいいと思うことがある」 …マル
「失ったものを数えている感覚がある」 …マル
「流れていく無数の車の光を眺めているとふいに死にたくなる」 …マル
「全ては遠のいていった」 …マル
「歳月が憎い」 …マル
「あの日の自分が憎い そんな日の記憶がふりはらえない」 …マル
「もっとみんなを愛せたはずだ」 …マル
「強くなりたい 優しくなりたい」 …マル
「今を生きている感じがしない」 …マル


「自分は過去に囚われている」


ボールペンを持つ手が空中で止まった。


「ハタダさん。ハタダさん。」
教官がわたしに話しかけてきた。わたしははっとして振り返った。
「ちょっと、なんなんですかこのテストは?」
「車の中は自分だけの世界。しかし、外は多くの他人が生きる世界です」
「なんですって?」
「前方に集中し。ミラーをよく見るのです。時間は前にしか進みません」
妙だ。ほかの参加者がもういない。どう考えてもおかしい。
「あの、ほかの方々は?」
「講習は終わったので皆さま新しい免許証をもらって帰りました」
「じゃあ、わたしにも新しい免許証を…」
「ハタダさんは視力検査の説明を受けてからお帰りください」
「視力検査はさっきしましたが?」
「より精密な検査です。”視野”についてのお話をしますので別の検査室へ。新しい免許証はその後です。」
「はあ」
わたしは仕方がなく教官についていった。通された部屋は来た時の視力検査とは違う部屋だった。
「この検査は任意です。検査を受けずにお帰りになられた場合、今日と同じテストを3年後の更新の際に受けていただきます。検査を受けられ、かつ無事故無違反を守られた方は次の更新は手短に済みます。」
「いまいち趣旨がわからないのですが」
「これは普通の視力検査の機械ではなく、エレクトロバイオメカニカルニュートラルトランスミッティングゼロシナプスアフターエフェクトファイナルカットプレミアレポジショナーという装置です。これを使った”検査”を受けていただくかどうかをハタダさんにはここで選択して頂きます。」
「あの、こちらは何をするための装置なんですか?」
「潜在意識にアクセスし記憶を編集するものです。ここの穴を覗いて装置から発せられる光を直視すると、大脳皮質に視神経を通じて信号が送られ潜在意識を抑圧する記憶のみを再配置します。」
わたしは黙っていた。あるいはイラついていたのかもしれない。
「失礼。そう申し上げる決まりになっていますので。要するに、これで安全運転の妨げになるある種のトラウマを消します。」
「記憶を消すということですか?」
「正確には、影響が出ないように編集するのみですが、嫌なことを思い出さなくなるので消えたと表現しても良いでしょう。」
「そうなんですか?」
「思い出す必要のない記憶は存在しないのと同じです。脳にはそもそも忘れるという機能がそなわっているのにも関わらず、不必要にことあるごとに思い出すのは何かしらのエラーであり、安全運転上支障をきたします。」
「何かしらの、エラー。ですか。しかし、思い出すということは大切なものだからでは?」
「無いと生きてはいけませんか?」
たしかに。私は再び黙ってしまった。
「どうされますか?」
「消したら人格が変わるとかありますか、これ。」
「影響はないと考えられます。それに、消すのではなく、あくまで記憶を再配置し”隠す”だけです。最初に申し上げました通り、これは”視野”の問題です。適切な運転操作には機敏な判断が求められますので、現在の視界を遮るものを抑制する必要があります。」
困った。わたしはこのあと行くところがあり、田舎では車が無いとどこにもいけないのでとっとと新しい免許を受け取って帰る必要がある。
「これって義務ですか?」
「いえ、任意です。事故防止のため、ハンドルを握ると我を忘れそうな方にこういったリスクがあることを把握していただくためのものですので。ご協力いただけた場合、県警の方から協力感謝状を後日送付いたします。」


古い免許と交換で新しい免許をもらった。写真が大学3年のときのものから今日撮ったものに変わっている。相変わらず輝きのない目をしていた。気に入らなさそうな顔をしている。環境が変わっても、なにも変わりはしない。そのときにはそのときの不満があり、わたしはずっと変わらずふてくされている。これからもそうだと思うとうんざりするが、わたしにはそうする以外になかったのでそうしているまでだ。やれやれ。わたしは免許センターから車を出し、国道をしばらく走ってから橋を渡ると脇道にそれて川沿いをずっと走っていった。川で奴がわたしを待っている。

奴は常にあの河原にいる。一浪して東京の私大に入ったはずなのに連絡をとるとなぜかいつも田舎にいてこのように河原に呼び出される。高校のときと同じように。
「よお。わりいな。社会人一年目で何かと忙しいだろうに。」
「いいですよ。こっちに来ても免許の更新のほかにやることもないですから。先輩は夏休みですか?」
「夏休み、らしいな。休学してるからよくわからんが。」
「休学したんですか」
「行けないんだか行かないだけなんだか自分でもよくわからんが、医者にすすめられたから休学した。」
「はあ。えと、その、病気の方は、大丈夫なんですか?」
「悪いと言えば悪いし、平気と言えば平気だな。ただ、先週から通い始めた自動車教習所で停学を喰らった」
「先輩なにしたんすか?」
「適性検査を馬鹿正直に受けたら最悪の成績をたたき出し、尋問され、精神科に通ってるのがばれた。医者が診断書書いて警察署長がそれ読んでハンコ押すまで停学。誠に遺憾だ。」
わたしはこの男よりかはだいぶましだ。と思って安心できるから、この男の話に付き合うのをやめられないのだろうか。この男は高校の一個上の先輩だが、浪人と留年でまだ大学にいる。薬を飲まないと眠れないらしいが、薬を飲んでも眠れるわけではないらしく、夜中にこの男からLINEがきているのに朝起きて気が付くというのがここ数年日常だった。まあ、わたしも意味もなく夜更かししててすぐ返すこともたまにあったけど。たまにではなく、わりと、あったかもしれない。
「まじで、法律とか警察ってのは厄介だねえ。知らんけど。おれまだガキだから。」
「年上でしょうが。わたしもう働いてるんですけど。」
「ハタダさんは優秀だからわからないか。おれと似たような高校生活送って、同じ穴のムジナで慰め合ってたのに、しれっといい大学入って普通に就職しやがって。」
「わたしだって苦労してるんですよ。」
「知ってるよ。ハタダさんは偉いねぇ。よくやってる。僕だったら死んでるね。」
あんたみてえになりたくねえから仕方なく頑張ってる。と言ったらさすがに傷つけると思ったので言葉を飲み込んで知らん顔をした。わたしのささやかな気遣いをよそに、奴はずっと空を見上げてポカーンと口を開けて「あ゛ー」だか「う゛ー」だか言っている。ふとわたしのポケットをさぐると財布があり、さっきもらった免許証を取り出してみた。
「先輩。なんか、わたし今日、記憶消されそうになったんすよ。」
上を向いていた奴の首がゆっくりと回転し、青白い顔がこっちを向いた。ふたつのまるい眼が腹立たしく見開かれてこっちを見ている。口は半開きのまま。
「あらー 穏やかじゃあないわねえ」この青ざめた間抜け面と変な声はどうにかならんのか。
「詳しく聞かせてちょうだいな。わたし気になります。」おまえの一人称はなんなんだ。ぼくなのかおれなのかわたしなのかはっきりしろ。
「なんか、変なペーパーテストやらされて、妙な共感を煽る感じの不気味なやつで、そんで、あなたにはトラウマが多いみたいだから、なんか特殊な”視力検査”の装置で記憶を”再配置”だかなんだかしてトラウマを消すことが出来ますみたいなこといわれました。」
「ふへへへへ ハタダさんばれてんじゃん。トラウマ多いの。傑作だわい。んで、消したの?記憶。」
「消しませんでしたよ。消したらあんたと話すことなくなるから。」
わたしがそう言ったのは単にそれが紛れもなく事実であったからだ。奴は半開きの口を閉じて眉を少し上げた。一体それは何の顔だ。
「良い心がけだ。抜け駆けは許さぬ。」
「今日あんたと会う用事が無かったら消してたかもわかりませんがね。まあ、今日ぐらいは良いかなと。」
「ふーん」今度は膝を抱えて手で口を覆い始めた。わたしも内心突拍子のない話だろうと思って記憶を消されたかもしれない話をしてみたが、この男はこの男なりにそれについて考えてみているようだ。思案を巡らせている最中は口元をいじらずにはいられないらしい。
「どうやって記憶いじんのよ。再配置?だかなんだか知らんが。」
「なんかデカい視力検査の装置みたいな奴で、ピカッとやって視界を遮るものを目立たない場所に隠して安全運転がどーたらこーたらって。」
「よくはわからんが、連中がそうやって他人の財産を好き勝手いじくりまわす無法者ということはなんとなくわかった。」
「財産?」
「財産に違いなかろう。見聞きした経験の積み重ねは己を形作る血肉や骨に他ならぬ。」
言っていることは概ね正しいかもしれない。だがこの男に関してはどうだろう。
「その大事な思い出は、寂しいとき抱いて寝るのに使うんすか。」
「抱いて寝ても、必ずしも眠れるとは限らない。」
「思い出を抱きしめて寝てたら眠れなくなって薬5種類飲んでんじゃないんすか。」
「4種類だわ。それはミルタザピンとかジェイゾロフトとかブロチゾラムがあったときで今は眠剤エチゾラムトリアゾラム抗うつ剤SNRISSRIが…」
「いまは、どうなんですか」
「レクサプロのジェネリックがやっと出て薬代が安くなったのよ。」やれやれ、こいつは薬剤師にでもなった方がいいんじゃねえのか。わたしはわずかにため息をつき、言った。
「そうじゃなくて、病状は?」
「…」すると今度は奴がため息をついて、頭を抱えやがった。どうやら深刻な話が、或いはただ深刻ぶった話のどちらかがはじまるようだ。
「こないだ、父親と、夢の話をした。」
「夢?ですか?」
「実家にいるおれが昼夜逆転してるのが父親は気に入らないらしくてね」
「でしょうね」
「寝床についてもなかなか眠れないって言ったら、薬はちゃんと効いてるのか?薬飲んでも眠れないのか?って聞かれて」
「はあ。」
「なかなか眠れないときってだいたい昔のこと考えて寝床で頭抱えてるだけなんだが」
「考えなきゃいいじゃないすか」
「癖なんだな。それにずっと日中ずっと家族といて、寝る前にやっと一人になると考えるんだよ。親はいつか死ぬしこのままじゃいられんし、これから生きてける気がしねえし、じゃあどうしてこうなったかって」
「薬飲んでると違うんすか」
「ずっと飲んでるからこれもうよくわかんねえんだけど、たまに薬飲み忘れると、これがないとだめだな。ってなるんだ。」
「というと?」
「薬飲まないで寝ると、眠りが浅くてね。ずっと悪夢を見るんだよ。そんで目が覚めたらなんかめちゃくちゃ疲れてんのよ。もう死にたくなるくらい。」
「その、悪夢とは?」
「細かいことは起きてしばらくしたら忘れるんだが、だいたい、今まで会ってきた人間たちが目くるめく登場するな。」
どんなものだろうと想像してみた。わたしの脳裏をインスタントな走馬灯のようなものがぼんやりと駆け巡るとなんとなくとても嫌になってすぐやめた。
「それってわたしも出てきますか?」
「なぜかおまえは出てこないな」
「ああ、なんか、よかったです。」
人の走馬灯の一部に自分がいるなんて、あまり考えたくはない。ましてこいつのものなんぞ。
「ともかく、夢で出てきた昔のことを起きてからしばらく引きずるんだな。現実が夢に蝕まれていく感じで気持ち悪いんだ。」
先輩はじっと遠く川の流れを、或いは対岸の方を眺めていた。向こう岸の上空には、分厚い入道雲が西日を受けてほのかに朱色に染まっていて、その間からは金色の光が漏れていた。
先輩の悪夢がみる悪夢は、たしかにたちが悪いなと思った。しかしその一方で、単にこいつがあまりにも暇なせいで悪夢はその弊害に過ぎないのではないかとも、ほんの少し思った。
言うか迷ったが、他に言葉も見つからないので、言ってみた。
「過去に囚われすぎなんじゃ?」
「てめえの口から言われるとな、そいつぁ聞き捨てならんな。」
「先輩のは度を越してますよ。先輩も記憶消してもらったらいいんじゃないすか。」
先輩は少し黙った。
「いいや、記憶は財産だね。」
「そんな悪夢にうなされてても?」
「記憶が悪いんじゃねえよ。大事にしたいことが多すぎるんだな。」
なんとなく、先輩の言いたいことがわかる気がする。この人は、まるでそれが才能みたいに、どうでもいいことをたくさん覚えている。わたしが遠い昔先輩にしゃべったこととか、高校のしょぼくれた新聞部での日々のこととか。そういうのをだしぬけに蒸し返してきてわたしまでトラウマの渦に引きずり込む。
「自意識をもつ主体としてのおれが世界に働きかけた結果としておれの中にアーカイブが残り演繹的に現在のおれの行動はすべて決定される。同じようにその構造からは誰一人逃れ得ない。これからたどる道は当たり前のように足跡の続きになっている。ということだ。知らんけど。」
話しながら自分が納得できるように、自分のなかでだけ辻褄があうような言い回しをつらつらとはじめるくせに、知らんけどとか言うなよ。哲学者みたいな気取ってるくせして、こいつ経済学部だし。
「おれがおれであるために、トラウマだろうが記憶は手放さねえぞ。」
「まあ、自分で折り合いつけて生きてけるんならいいんじゃないすか。」
これはわたし自身への戒めでもあった。そう簡単にできたら苦労しないこともわかっている。先輩は相変わらずぼんやりと対岸のほうを見ていた。わたしは加えて言った。
「普通は、折り合いをつける手段として”忘れる”んでしょうけども」
水の流れの方を見ていた先輩は一瞬私の方を向いて、そして膝と膝の間に頭を突っ込んで下を向き大きなため息をついた。こうやってわかりやすくいじけてみせて、「どうしたの?」って言ってほしいに決まっている。言ってたまるか。どうせ自分から喋りはじめるんだから。
先輩は、のろのろと、すこし小さい声でしゃべり始めた。やれやれ。
「こないだも、ここに来たんだ。女の子と二人で。」
「はあ!?誰すか?」
「ん~ん…」
先輩は顔を上げ、またこっちを向いた。眉間にしわを寄せ、口を尖らせている。なんだそれは。気色悪い。張り倒すぞ。
「言え」
「高校の同級生。医学部行ったからまだ学生。いま地元にいる。これまでもちょっと遊んだ。」
はえー」
なんなんだこいつは。
「良かったじゃないすか。なんつうか、この歳で川遊び付き合ってくれるひとで。」
「だって、おれここしか遊ぶとこ知らないから…」
「そんな奴あんただけだよ。」
「…」
「なんだよ」
「かわいかった」
「知らねえよ」
「あのね、そうじゃなくてね、なんか、良い感じに日が暮れてきてて、座るとこあるかなってその子が言うから、土手に座るより堰(せき)に座った方が…」
「せき?」
「あの、川の途中に段差を設けて水の流れを抑制するための構造物」
「河川敷オタクがよ」
「あれがね、水が流れてない部分があって、そこに座ると夕日がきれいに見えるから、そこに登って座ろうとしたんだよね。」
「それで?」
「あの、おれはよじのぼれたんだけど、彼女が登れなくて、それで、彼女は一生懸命登ろうとするんだけれども、どうしても登れなくてね、じゃあ別のところにしようって言っても、彼女はどうしても登りたいっていうから、手を貸してみたりしなかったり、それでね、一生懸命登ろうとしてる姿が、その、なんというか、」
先輩はうつむいて一瞬目をつむってつぶやいた。
「かわいかったんだ。」
「へえ」
「好きになっちゃいそうだった。」
ばかだな。ガキなのか、おまえは。と思う一方で、妙な言い方をするなとも思った。
「好きになっちゃいそうだったってなんだよ。思わせぶりな女みてえなこと言うなよ。おめえの台詞じゃねえだろ。」
「違うんだよ」
「何が違うか言ってみろよ」
「楽しかったんだ。すごく楽しかったけど、苦しくなりそうだったから。」
大真面目な顔でこういうことを言う成人男性なんぞそういないだろう。そのあまりに純粋な眼差しはやや潤んでおりそこはかとなく薄気味が悪い。しかし、しかしだ、そういった薄気味悪さが自分にも心当たりが全くないかというとそうとは言い切れず、そうしてわたしはこいつを無視できない。
「ううううううううううっ…」
よくもまあ大人のオスがこんな情けない声で鳴くものだ。
これのために呼ばれたと思うと腹立たしくすらあったが、こうなるのが薄々わかってて来るわたしもわたしだ。だったら聞いてやろうじゃねえか。
「すきになっちゃいそうだったんだろ!それで、なにが苦しいんすか!」
とは言いつつ、こいつが言いてえことはある程度察しがついている。
「なんか、もう、こういう疲れるの、耐えらんねえな、と思って。」
「…上野駅
「二度とないんだ。はじめて好きな人と一緒に出かけたとき、駅でその人が来てくれるのを待っているときの、あの時のあの感じを。あれだけでもう十分だった。あれのほかにはもうなにもいらなかったんだ。同じようなことを繰り返すことは僕にはもうできない。」
だから、おまえの、一人称は、いったい、どれなんだ。
気分で使い分けているようなこの都合の良さがなんとなく気に入らない。
わたしは黙っていた。先輩もしばらく黙った。
「おれってどうすればいいんだ???」
前方視界を確保するため、記憶を消しましょう。と、免許センターの教官のようにはわたしは言えなかった。この男からこれを奪ったら何が残るかわからなかったし、この男はこういう生き様を自ら選び取ってこうしている。そして、残念だが同じようなことがわたしにも言えた。
「またクソ映画のネタにすればいいじゃないすか。もう作んないんすか、クソ映画。」
この男は自分で脚本を書いて監督して自主制作映画を作っていて、高校の時にわたしも手伝わされた。自分でクソ映画と言いながら、新聞部の部室に居座って部室のパソコンで編集していた先輩は楽しそうだった。大学に入ってからも何本か作ったらしいが、最近は作っていないらしい。わたしは、先輩のクソ映画が好きだったのに。
「仲間がよ、みんな卒業した。」
「あ~」
「その道に行った奴らもいて、そいつらはいまクソじゃない映画作ってるだろうけど、大変そうでね。」
「先輩もその道の巨匠になるもんだと思ってましたが。」
「現実逃避でクソ映画作ってたのに、それ仕事にしたらこんどはクソ映画からどうやって逃避すりゃいいんだ?」
「でも、映画作んの好きでしょ」
「好きだったもんを嫌いになるのが一番やなんだよ。現実逃避の先にある現実なんぞ知りたかあなかったし、そこまでの覚悟はもてなかったね。楽しい思い出作りにすぎなかったんだ。」
「先輩のクソ映画好きでしたけどね。わたし。」
「おれもその時は自分のクソ映画が好きだったけどさ、作らなくなってから見返すとよ、おれが見る悪夢と、おれのクソ映画、ほとんど同じなんだよ。クソ映画が悪夢の再現なのか、悪夢がクソ映画の再現なのかわからないくらいに。わざわざ撮らなくても夢でクソ映画見れちまうのに気が付いたんだ。それと同時に、おれが一人で観てる悪夢と同じようなものを人に見せてたことの恐ろしさに最近気が付いた。悪夢と現実の境があいまいになり、現実がクソ映画になっていく。でも現実を生きるこの世の他人たちはおれの映画の登場人物じゃあないし、そもそもおれは主人公じゃない。この世はおれを楽しませるためにあるんじゃない。」
先輩の眼は光を失っているように見えた。その様子は、目の前にある川の向こう岸を見失ったようにも見えた。
「てなわけで当分映画は作らん。というか、もう作れん。」
かける言葉が見つからなかった。先輩と同じように向こう岸を眺めてみた。そういえばあっち側には行ったことがない。新聞部の部活終わりに連れてこられたのもこっち側。文化祭終わりに「打ち上げ」と称して花火をやりながら先輩の参考書を燃やして遊んだのもこっち側。
この男を目の前の川にブチ込んだら、向こう岸までたどり着くだろうか。たぶん、浮き沈みしながら、ずっとこっち側を見ているにちがいない。そして流されまいとしがみついている。それが今なんだろう。ずっとしがみついているのと、流されてどっか知らないところに流れ着くの、どちらが楽なのだろうか。わたしは、流れに身を任せた側だ。だけど、今こうしてここに戻ってきてしまった。
結局、ここの対岸には何があったんだろう。
再び向こう岸の方へ視線を向けると、さっきまでその上空にあった分厚い入道雲が目前、というか真上まで迫っていた。もはや雲を染める朱色の西日も、漏れ出る金色の光もなく、どす黒い影がわたしたちを包んでいた。
「おい、やりやがったな。雨女。」
先輩が言った。
「わたしが雨女になったのは、先輩の陰湿な性格のせいです。新聞部入らなかったらこうはなりませんでした。」
ついに、雨が降ってきた。
「へー じゃあ何部がよかった」
「関係ないっすよ。新聞部が暇すぎて他の部活出入りしてたから」
大粒の雨が地面を叩きつけるように降り始めた
「じゃあさ。文芸部で書いてたさ。おめえの小説また書きなよ」
ぼたぼたという雨が、次第に、ざあざあ、というよりはだーーーというほどの勢いになり、遠くで雷が鳴り始めた。わたしはでかい声をだした。
「やですよ! 自分のこと書いたら! 先輩みたいに! 悪夢が現実になっちゃうって今知ったから! まじで雨やばいから! 先輩! とりあえず! わたしの車の中に!」
先輩とわたしはひとまずわたしの黒いセダンに乗り込んで雨宿りをすることにした。車内は湿気でむっとしていたのでエンジンをかけてエアコンをつけた。ぼたぼたと音を立てて雨粒が車の天井に打ち付ける。
「で、なんだっけ。」
「わたしが雨女になったのは先輩のせいです。」
「…そうか。なんつうか、あの、すまなかったな。」
「いや、別にいいすけど。」
実のところ、先輩のいる新聞部に入る前からわたしは雨女だった。考えることまでじめつき始めたのはこいつのせいかもしれないが、そもそもわたしはずっとじめじめしていた。やれやれ。この男の存在はわたしにとって多くの気付きを促した。それで生き易くなるようなことはなかったが、わたしは自覚できていることで生きていくほかない。
フロントガラスは雨粒でいっぱいで、外は何も見えない。鉄製の車体の外から、雨音とエンジンの音が低く響いているだけだった。
「ねえね、煙草吸いたくなっちゃった」
「今?」
「なんか、頭つかって喋ったから疲れた」
「知らんがな」
「あとさ、雨降ってるとき煙草吸うと美味いんだよ」
「知らんがな」
「傘ある~?」
「勝手にしなさい」
わたしは運転席の後ろに手を突っ込んで、後部座席の足元に横たえてあった黒い長傘を引っ張り出して先輩に差し出した。
「すまんねえ」
ドアを開くと隙間から瞬時に雨が車内に入り込んできた。
「早く閉めやがれヤニカス!」
ぼふっ。とドアが閉められたが助手席の座面がすでに半分濡れている。奴は傘をさしてはいるもののすでにかなり濡れている。あれがまたわたしの車に乗り込んでくるのかと思うとあまりいい気持ちはしなかった。やれやれ。先輩は車の前に立って、水色の箱から煙草を一本取りだしてくわえる。片手で傘を持っているのでやりにくそうな様子だった。なんか必死で面白かったので、わたしはヘッドライトを点け、ワイパーを動かしてフロントガラス越しに奴を観察していた。
ワイパーが雨粒をフロントガラスから取り除き、一瞬視界を開くがすぐに雨粒で遮られ、またワイパーが雨粒を取り除く。目の前でワイパーが往復する運動を隔てて奴がマッチを擦り、煙草に火を点け、煙を吐くのを観察していた。奴がフロントガラス越しにこっちを見ながら煙を吐いてくるので、わたしもにらみ返してやった。それを、ワイパーの往復運動が周期的に遮っている。やれやれ。なんでわたしはこんなことをしているんだ。どこで何を間違えた。再びわたしの脳裏をインスタント走馬灯が駆け巡る。大人たちの期待を背に名門校の門をくぐり、変な新聞部に入ってみたり、変な先輩と川で遊んだり、他の変な部活に出入りしたり、川までカメラを持って行って変な写真撮りに行ったり、変な小説書いて文芸部誌に載せたり、変な小説の残部を川で燃やしたり、変な後輩の変な話を川で聞いたり、変なことばっかだったけど頑張って大学に入ったものの、なんか変なことにはもう飽きてて、ただなんかつまんなくて、すると変な先輩にまた川に呼び出されて、そうして会社に入って、そしてまたなぜか変な奴にまた川に呼び出されて、変な奴はいまわたしの車の前でヘッドライトに照らされながら白い煙を吐いている。フロントの外気導入口が奴の副流煙を吸い込み、エアコンの風がなんかヤニくさいので、内気循環に切り替えた。やれやれ。
もしわたしの悪夢もおまえと同じようにクソ映画にできるのだとしたら、おまえだってわたしのクソ映画の登場人物なんだよ。だとしたら、わたしは奴になんて言うべきだ。わたしはわたしでクソ映画なりクソ小説なりクソ写真を作るってか?余裕のない会社員のわたしとちがって、暇人の休学中5年生のおめえはその時間をわたしを慰めるクソ映画作りに費やせと?この世がわたしを満足させるためにあるわけじゃないとして、だったらおまえくらいはわたしを楽しませろよと?
全てが的外れな気がした。わたしは奴に、何を言うべきだ。
わたしはわたしのこの忌まわしきインスタント走馬灯を、ただ眺めて、吐き気を催して、なにもすることができないが、奴は、その悪夢とやらを、かつては全部吐き出すことができた。吐瀉物映画、ゲロ映画、クソ映画。自分ばっかり気持ちよくなってんじゃねえ。

そのとき、空が光った。
一瞬目の前が真っ白になり、爆音が鳴り、車体が大きく跳ねた。わたしの身体は座席ごと揺さぶられ、驚いたわたしは叫んだ。
車の前に視線を向けると、奴が視界から消えていたので、わたしは車から飛び出した。奴が、倒れていた。
先輩は雷の直撃を受け、そして、車がわたしを守ったんだ。


先輩の服と先輩がさしていたわたしの傘は焦げたが、先輩は死ななかった。
その瞬間わたしはほとんどパニックに陥っていたが、救急車の中で先輩は何事もなかったかのように意識を取り戻し、後遺症も残らなかったという。奇跡と言うほかはない。
わたしは焦げてしまったのと似たような黒い長傘を買って、また東京に戻った。
雷の直撃を受けても、先輩の肉体には何ら影響は残らなかった。少なくとも、肉体には。
雷に打たれてからというもの、先輩は自動車教習所に復学し、予定通り運転免許を取得した。それだけでなく、煙草をやめ、Twitterもやめ、大学に毎日通うようになり、精神科から処方される抗うつ剤睡眠導入剤は量が減り、そして翌年には地元の役所への就職をあっさりときめた。働き始める頃には薬は全く必要なくなり、精神科への通院も必要なくなった。
明らかに、様子がおかしい。まるで別人だ。
わたしは用事がなければ地元には帰らず、なので川に呼び出されることもなくなった。奴からは夜中や明け方ではなく、まともな時間にLINEが来るようになって、先に述べた「良いニュース」を教えてくれるようになった。相変わらずわたしは東京で毎日ニヒリストみたいな顔して働いて、首都高の環状線をぐるぐる回っていたが、どこかひとりぼっちになったような気がしていた。


[ 先輩 さんとのトーク履歴]

ハタダシオリ    先輩、東京来る用事ないすか?
ハタダシオリ    飯とか、行きましょうよ。
ハタダシオリ    なかなかそっち帰れなくて

先輩        ハタダさんお久しぶりです。僕もいまは仕事が忙しく、覚えることも多くて大変なのですが、余裕ができればそのうち東京に観光などへ行ければいいなと思っています! ハタダさんもお仕事頑張ってください!

ハタダシオリ    そうすか…
ハタダシオリ    仕事、どうすか?

先輩        大変ですが充実しています!

ハタダシオリ    ストレスとか大丈夫すか
ハタダシオリ    職場にいけ好かない輩とかいないんすか?

先輩        たしかに楽な仕事ではありませんが、まわりのひとたちはみんな優しくて、働きやすい環境ってかんじですよ~

ハタダシオリ    先輩、1浪2留だから同期3つ下でしょ
ハタダシオリ    先輩がそんな屈辱に耐えられるはずがない

先輩        たしかに歳の差はありますが(笑)、良い仲間です!

ハタダシオリ    おかしい
ハタダシオリ    先輩、わたしに隠してることとかありませんか

先輩        実は、職場の女の子に週末いちご狩りに誘われまして…

ハタダシオリ    嬉しいのか?
ハタダシオリ    微塵の恐怖も抱いていないのか?

先輩        照れますね…(笑)たのしみに行ってきます

    《 ハタダシオリ さんがメッセージの送信を取り消しました》
    《 ハタダシオリ さんがメッセージの送信を取り消しました》
 《 ハタダシオリ さんがメッセージの送信を取り消しました》
    《 ハタダシオリ さんがメッセージの送信を取り消しました》

「ふざけんな」「おまえは誰だ」「その女と、新聞部元部長どっちが好きだ?」「上野駅をわすれたか?」と打って、既読が付く前に消した。もう今のこの人には関係ないんだと思ったから。だいたい、このトーク履歴では先輩の方が明らかにまともだ。やれやれ、わたしもまともになった方がいいのか。
あの落雷の日以来、わたしと先輩ではそれぞれ違う時間が流れていた。それはかつてのような同じ流れには戻ることはないような予感がわたしにはあった。人にはそれぞれの到達点があり、目指す場所があり、経由地が同じ人はたまたまそこにいただけで、分岐と分岐の間の一部分を共にしたに過ぎない。わたしはこの流れを、わざわざ選んだつもりはないのだが、結果的に選んだことに変わりはなく、そう考えるとうんざりした。先輩はその流れを脱したんだ。しかし半年後、妙なメッセージが先輩から送られてきた。


「ハタダさんよ、おれは仕事をやめたぜ。はっきり言って、すべてが順調に思われた。おれの中のなにもかもが浄化されたような気がして喜んで仕事をして暮らしていた。だがな、おれは驚くべきことに、また雷の直撃を受けた。そして、おれはすべてを取り戻した。一瞬でな。想像してみろ、いままでの人生でなくしたものが全部一度に戻ってきたら、どんな気分になると思う?おぞましいぜ。無慈悲な雨に打たれながら、発狂するかと思った。もうやることはひとつだ。おれは映画を作るぞ。実家暮らしで給料を全く使わなかったおかげで製作費はそこそこある。おれは仕事を辞めたその足でロケハンに行った。川だよ。最後の映画、『自虐の黙示録』で撮った河原のシーンの続きから撮るんだ。おれは久々に川に行ったね。ハタダさんも来ると良い。川は素晴らしいぞ。おれが1回目に雷に打たれたあの河原にたった瞬間、マーラーの第二交響曲『復活』フィナーレの歌詞を思い出した。『おお わが心よ 信じなさい おまえが何も失っていないことを すべてお前のものだ おまえが憧れ そして愛し得ようとしたものは おお 信じなさい おまえはいたずらにこの世に生まれ 理由もなく苦しんだのではないということを 生まれ出でたものは滅びなくてはならない そして滅びたものは復活する 震え慄くことはない 生きる覚悟をするのだ! 苦しみよ 死よ わたしはおまえからのがれる 今やおまえは征服されたのだ 私はかちえた翼を広げ燃える愛の力で舞い上がろう はるかな光のもとへ かちえた翼を広げて 私は舞い上がろう! 復活するために私は死ぬのだ よみがえるだろう! わが心よ 一瞬のうちに! お前が打ち勝ったものが 神様のところへおまえを連れていく!』おれにはこの歌詞の意味するところが完全に理解できた。おれは、復活する。よみがえるだろう。」


善良な公務員がやばいカルトにはまったのではない。奴は本来こういう奴だ。ほとんど何を言っているかわからないが、元に戻ったことだけはわかった。先輩は高校の時からよく「マーラーになりてえ」とよく言っていた。奴は、マーラーになる気だ。先輩が正気に戻り仕事を辞めて送ってきた正気の沙汰ではないLINEを、わたしはにやにやしながら眺めていた。
数日後、先輩はカメラを持ったまま川に流されて死んだ。


先輩の葬儀が終わっても、わたしの東京でのOLとしての暮らしはなにも変わらない。
わたしには、先輩からの狂気のLINEと黒い傘だけが残された。

ある日、動物園から猿が逃げ出した新聞記事を見つけた。この猿は、生活を、捨てたのだ。逃げ出して、そのあとどこへ向かったのだろう。生活をなげうってまで、行きたい場所が、あったのだろうか。「せいかつ」とは?
坂の上から街を見渡す。無数の屋根が見える。この無数の屋根の下、人々がそれぞれ自分の幸せを見つけ出し、懸命に生活を営んでいる。とは、私にはどうしても思えない。人々にはみんな目指すところがあるのだろうか。みんな、ただ生きることと、意味もなく闘っている。私にはそう思われて仕方がない。そこで起こるのは、喜劇でも悲劇でもない。ただの営み。街は、ただのデカい営み。 ヘッドライトとテールライトが列をなし、無数の光が道路を走る。私はそのうちのひとつになる。街もただ生きている。生きている街の動脈の中を走れば、私の生活も大きな営みの一部になる。すごいことなんてない。あたりまえのことしか起こらない。

 

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6月22日

死ぬほどやることがある。比喩ではない。死ぬ(ことをついついかんがえちゃう)ほどやることがある。

深夜0時、やらなければならない課題が3つ、書かねばならない履歴書、エントリーシートが少なくとも3つ。ついでにとっとと料理しないと腐る野菜が冷蔵庫にいくつか、山積みの洗濯物、もう靴下は明日はくやつしかない。

どれもやる気にならず、パソコンで麻雀を打って、負けたら呻いて、勝ったらたばこを吸って、ふと4時ごろになぜかとてもとても悲しくなり、胃がつぶれそうな思いになったが昼から何も食べていなかっただけだったと思い出した。夏が近づいてきて空が明るくなるのが早くなって恨めしい。鳥が鳴いている。これはもう朝だ。朝に食うんだから朝ご飯だ。ということで、米をレンジで温めインスタントの味噌汁を作り、納豆を300回混ぜて(最初に150回混ぜてからたれを入れて再び150回混ぜる)白飯の上に載せ、いかにもといった様子の朝食を平らげ、そして、寝る。

起床、12時30分。作っておいたアイスコーヒーを飲み干し、タバコを吸う。13時、オンラインで会社説明会に参加。荒れ果てた部屋の中、背広を着た俺が座っている。だが、カメラをオンにしろと言われなかったので、トイレの中で聞いていた。

説明会終了。この時点で14時。

授業が16時20分から。

背広を着ているので横になれない。外に出るしかない。行きたくない行きたくない。

タバコを吸う。吸い終わるとやることがなくなる。Twitterを開くが、さっき見たときとあまり変わっていない。

仕方がねえので家に出る。なんか涼しいなと思ったら雨が降っていた。

39教室へ向かう。この時間から授業だと、逆に行きたくなくなる。いや行きたい授業などないのだが、早起きして頑張って向かわずとも、16時からならばと油断して昼寝なんぞしていると起きたら19時だったりする。ということで最後に39教室に来たのがいつだか覚えていない。

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大教室の中でディープキスをしている男女がいた。他には誰もいない。おれは3回くらい外に出てここの教室番号を確認したが間違いなくここだった。だが、男女が大教室の中心で愛を営んでいるのも間違いなかった。

ディープキスをしている男女は濃紺の背広を着た22歳5年生のおれの気配に気づかない。とりあえず着席する。

すると、男子学生が一人大教室へ入ってきて着席した。

【39教室 内訳】

・男子学生(舌を入れている)

・女子学生(舌を入れられている)

・男子学生(後から入ってきて、イヤホンをしてスマホをいじって着席している)

・男子学生(留年している。困惑している。)

という状況が5分続いても教員がやってこなかったのでおれはあ 【男子学生(後から入ってきて、イヤホンをしてスマホをいじって着席している)】に声をかけた。

「ここって年金論の授業ですよね?」

「あ、きょうオンデマンドで休みだって先週言ってました。」

おれは5階の喫煙所に向かった。

そのあとは、大学のパソコンで履歴書を書いて印刷したり、就職指導課に行って履歴書を見てもらったりしていた。次の5限の授業にも長らく行っておらず、とりあえず行ってみたが、今日は「あ」行が当たるだったようで怖くなって開始10分ほどで逃げ出した。教室の中で、おれだけが濃紺の背広を着ていて異様に目立ち、急に立ち上がって一目散に逃げたしたので気が付かないはずはなく、教授と目が合ったがおれは逃げ出した。

帰りの中央線の中では座ることができ、天井や外の景色を眺めたかったが、だんだん混んできて上を向いていると特定の人物を凝視しているように見えてしまうので仕方なく俯き、いかにしてあの教授に詫びを入れようか考えていた。

 

水道橋、飯田橋、市ヶ谷、四ツ谷信濃町千駄ヶ谷、代々木、新宿、大久保、東中野、中野

 

代々木あたりで、教授に詫びを入れるほかに今からしなければならないことを思い出してさらに嫌な気持ちになった。

新宿でたくさん人がおりて、また乗ってきて、みんなちゃんと生きてて偉いな、ちゃんと生きてる人たちがたくさん乗ってきてなんかこわいな。でもおれは濃紺無地の背広にアイロンをかけた白いシャツと無地のネクタイを締めて磨いた革靴を履いていて、見た目だけまともになろうとしててしゃらくさいなと思った。

大久保あたりで、まともそうな格好して電車に乗ってまともな人間を演じることに次第に興奮してきた。

東中野あたりで、こんなにろくでもない人間なのにいかにもまともな人間の顔して電車で移動しているという遊びを楽しみ始めた。

中野駅のホームに降りてエスカレーターを下って改札をでて信号待ちの列に並ぶまではいつも何も考えない。字が書けなくなろうと箸の持ち方を忘れようとクレジットカードの暗証番号を忘れようと、すべてを失っても、この経路だけは身体が覚えていそうな自信がある。

そして、だいたい信号待ちで空を見上げて我に返る。新しい駅ビルの工事現場がだんだん背が高くなっていき、空を狭くする。ガード下の長すぎる掲示板の中身が入れ替わっている。車いすに乗った老婆がじっと動かずに道往く通行人を憎らしそうに睨みつけている。子供二人を乗せた電動アシスト自転車とウーバーイーツのお兄さんのロードバイクと乱暴に急加速するタクシーと洗車されてない白いBMWが路上で熾烈な争いを繰り広げている。交番には今日中野区で死んだ人間の数が掲げられている。おれは洗濯と課題と企業に送る作文をやらねばならない。

交番の前で変な踊りでもして捕まろうかなと思ったが、父親に電話されたら嫌なのでやめた。

全部嫌になってきたので、甘いものを飲んだり食べたりしようと思った。

甘いものの中でもひときわ好きなものである、モスシェイクを飲みに行こうと思った。

モスシェイクを飲みに行こうと思ったので、モスバーガー中野南口店に行った。

モスバーガー中野南口店に行って、モスシェイクを注文した。

モスシェイクが欲しかったので、おれはSuicaを端末にかざした。

そしたら、モスシェイクが手に入った。

おれは、歓喜した。

おれは、店員に一礼した。

パルプ・フィクションジョン・トラボルタがシェイクを飲んで「なんだこれ美味えな」って言ったシーンを、おれは毎回やってしまう。だがおれが便所から出てきてもブルース・ウィリスはおれをぶち殺してくれない。ちなみにモスバーガーではスプライトが出てこないのでサミュエルエルジャクソンの真似はできない。だが、モスバーガーはアイスコーヒーが程よい苦みとコクで美味しくオニオンフライやポテトと大変合うので気にしない。

スプライトは仕方がなくマクドナルドに行ったときに頼む。

モスシェイの容器は蓋が透明である。容器の中では、ストローにモスシェイクが吸い込まれ、白いモスシェイクの水平背線が、中央に突き刺さったストローのまわりから陥没していく。くぼみが出来上がる。

どこかでこれを見たな。

あれだ、おれが好きな映画007・スカイフォールのオープニングだわ。

イスタンブールの電車の屋根の上でボンドが悪人と闘っていて、電車が橋の上に差し掛かったところで同じく英国諜報機関MI6の諜報員イヴ・マネーペニーが悪人を狙撃しようとするんだが、ボンドと悪人がもみ合っていてボンドに当たりそうになって引き金を引けず、そしてらロンドンのMI6本部で作戦を指揮していた上司のMが「いいから撃ちなさいよ!」(Take the bloody shot !)(迫真のイギリス英語発音)と怒鳴り、マネーペニーが撃ったらボンドに当たってしまい、ボンドは橋の上から滝の中に落下。作戦は失敗。ロンドンのMの執務室の外では雨が、ちょうど今日のような雨が降っていて、その雨がMI6(正確にはSecret Intelligence Service通称SISであり、Military Intelligence : MI6は正式名称ではない。)本部の目の前を流れるテムズ川に降り注いでいる。神田川ではなくテムズ川である。さっき電車の中から見てきた神田川ではない。ロンドンはあんなに緑豊かじゃないしあんな変なところに釣り堀はない。

ボスの命令で撃たれてしまったボンドは滝つぼへ落下、そのまま川底まで沈んでいく。

沈んでいくボンドは悪夢を見る。アデルが歌うオープニングテーマ「SkyFall」が流れる。川底が、まるで、今飲んでいるモスシェイクのようにくぼみ、その底から巨大な手が出てきて、ボンドの片足を掴み、川底は崩れ落ちて、ボンドを悪夢の中へといざなう。

youtu.be

モスシェイクを吸っているおれは、モスシェイクの中へと吸い込まれ、悪夢の中へと引き摺り込まれるが別に引き摺り込まれるまえも悪夢みたいなもんだからまあね。

 

 

違う。

そうではない。

おれが言いたいのはそういうことじゃないんだ。

だいたいモスシェイクが飲んでる最中にくぼんでるのスカイフォールのオープニングに似てるわって気付いたの書き始めた後だし。

起稿する前は他に考えてたことあるだろ。早くしねえとモスバーガーしまっちまうぞ。パソコンのバッテリーもなくなるぞ。

ちくしょうがよ、5年も使ってるとバッテリーの持ちが著しく悪くなるが、そもそも大学生活は留年しなければ4年なので、5年目でバッテリーの持ちが悪くなってきても留年しているおれは大学入学時に買ってもらったパソコンに文句を言ってはいけない

ふと思ったんだよね。去年の今頃何してたか。別に今日に限ったことじゃないんだ。去年の今頃なにしてたかななんてのは、たまによく考えるんだ。なぜかはわからないけど、最近は特に頻繁に考えるようになったな。

ジョー・力一(りきいち)という男がやっているラジオで、「超にんげんっていいな」という「にんげんっていいな」の替え歌を募集した企画がある。その採用作品の一つを引用したい。

【朝ラジオ】ジョー・力一の深夜32時 #28【にじさんじ】 - YouTube

この2番の歌詞の一節である。

いいないいな学生はいいな

社会の荒波知らずに生きて

バイトだサークルだやってるだろな

戻りたいよ青春の日々

年々白髪が増えて Cry Cry Cry

おれはすでにこの境地に近い部分に達している。過去のおれ自身が羨ましい。

(ちなみにおれは『ひたかくしていた横恋慕~』がいちばんのお気に入りなのだが)

https://www.youtube.com/live/115GT6W3CGk?feature=share&t=5097

 

当然だが、去年あった、楽しいことを思い出して、逃げ出したいのである。

なぜなら、あまりに今楽しくないから。

去年の今頃、おれの家で演劇の稽古をしていたころ、ある日の日曜の稽古の終わり、役者だった姐さんが次の日仕事に行きたくない帰りたくないアイス食べたいと言うので、「アイスもいいですけど、モスシェイクって飲んだことあります?」とモスシェイクを買いに行ったことがあった。

モスシェイクを飲んだことがない奴が多すぎる。と、おれは思う。と同時に、みんながみんなモスシェイクを飲み始めたら嫌だな。ともおもう。モスシェイクをこの世界で見つけることができて、モスシェイクの素敵なところに気が付けるのは、おれだけだ。愛してる。そんな自己陶酔が出来なくなるのは少し嫌だがそれにしてもモスシェイクは美味いのでこれからの暑い季節是非とも読者諸氏はモスバーガーに足を運んでみることをお勧めする。普通のバニラもコーヒーも美味しいが私の一押しは

まぜるシェイク 宇治抹茶 ~石臼挽(いしうすび)き抹茶使用~

である。

www.mos.jp

懐かしいな~と去年の今頃に携帯で撮った写真を眺めているとふと思い出した。

ところで今日は、6月22日だった。

去年の今頃からさらに2年前、2021年の今頃にスクロールしてみた。

おれがこの中野に引っ越してきたのは、6月22日のことだった。

あれから、今日で2年たったことになる。

iPhoneの写真フォルダの、2021年6月22日以前はすべて山形の写真。2021年6月22日以降は東京での写真。

 

中野駅のホームに降りてエスカレーターを下って改札をでて信号待ちの列に並ぶまではいつも何も考えない。字が書けなくなろうと箸の持ち方を忘れようとクレジットカードの暗証番号を忘れようと、すべてを失っても、この経路だけは身体が覚えていそうな自信がある。

これをはじめてやった日というのが、そういえばあった。

駅から自分の家までの道がまだわからなかった時期というのがあった。

モスバーガー中野南口店を、「発見」した瞬間が、あったのだ。

 

おれは鞄に手を突っ込んでパソコンを取り出し、モスバーガーの店内でこの記事を書き始めた。19時少し前のことである。

 

筆が乗ったのか、今日が引っ越してきてから2年だという話につながるまでが異常に長くなった。わけのわからないことを永遠に言っている。楽しかった。楽しすぎる。

yabusaka-nikki.hatenablog.com

 

 

 

なぜ自分が書くのかについて、正確な答えに辿り着いたことはない。しかし、僕にとって書くという行為は限りなく「八つ当たり」に近いものだとは思う。そして、僕は「八つ当たり」をしないと生きていけない。

 

 

 

モスシェイクの肖像 2022年8月・中野マルイの『四季の庭』にて

 

気が付けば2年

中野に引っ越して2年が経った

2021年6月21日

 

僕は引っ越した。正確に言うと、あの家での生活に耐えられなくなって実家に逃げ込んだ後、かなり時間がたった後いまの家に移り住んだ。実家に逃亡したのは新型コロナウイルス感染症が流行し始める2020年3月より前の2019年12月末のことだ。病んでしまった直後に謎のウイルスが蔓延して、大学の授業を学校に行かなくても受けられるようになったこともあり、今年の6月までの一年と半年もの期間を実家で過ごしたことになる。これまでの大学生活では東京に住んでいた時間よりも実家に住んでいた時間の方が長いのである。1年半、静養するには十分な期間だったはずである。

昔住んでいた町に行った - カリフォルニア・日記


もう10年くらいここに住んでいる気がする