カリフォルニア・日記

知っていること以外話す気はない

風力発電所に行こう

 

 遠くに行きたかった。みんなそう思ったに違いない。僕だってもう我慢ならなかった。
 連休の頭、両親がはじめて僕の今のアパートを訪れた。僕の家は散らかっていたが、両親には真実を知ってもらいたかった。下手に取り繕うような真似はせず、本当の姿を見せることが何より安心であろうと考え僕は荒れた我が家に両親を招いた。両親は特段驚きもせず、僕は両親と会話をしながら部屋の掃除に勤しんだ。みんなで喋りながら作業をする。なんて生活をしているんだおまえは。だがまあ、大学生の一人暮らしなんてこんなものであろう。などなど。楽しそうだった。息子として適切な娯楽を両親へ提供することができた安堵が僕の中にはあった。山形には成城石井がないので、テレビでしか見たことがない。成城石井に行きたいと父が言うので吉祥寺の成城石井に行った。父はピスタチオバターとチーズケーキと焼きプリンを喜んで買って帰った。
 僕はテレビを見ないが、実家では常にテレビがついていたので、僕の家にある小さなテレビに久々に電源が入れられた。朝の情報番組で茨城のひたち国営公園ネモフィラが取り上げられていた。なるほど、連休というのはこうやって過ごすのか。茨城くらいなら行こうと思えば行けるか。気晴らしにドライブなんかいいかもしれない。日帰りならたいして金もかかるまい。というようなことを考えたらしい。

***

 僕が住んでいる6畳の和室に布団を敷いて、父と母と僕は川の字になって寝た。寝付けない僕は茨城に住んでいる暇そうな後輩にLINEを送る。深夜1時半なのにすぐ返信が来た。期待を裏切らない暇人の存在が救済になることもある。
ネモフィラ見に行かんか」
国営ひたち海浜公園
    「えっいつ???」
    「いきたいいきたい」
    「いきたいい!!!!」
    「いきたいー!!!!」

***

 僕は東京と山形の往復ばかりしていた。どっちでもない場所へは長らく行ってはいなかった。「暮らし」から離れるようなことはなかったのである。どこでもいいから遠くへ行きたいという平凡な思いつきに対し、茨城県というのはなんとなく絶妙な位置にある。なんとなく自然に囲まれた場所へ行きたい。人の少ない田舎へ行きたいが地元へはもう当分帰りたくはない。留年が決まってから僕はずっと実家に恐縮している。演劇の公演が終わり疲れ果てて何もしたくなくなると、お盆でも正月でもない変なタイミングで実家に長期滞在し食費を節約して財政を立て直すということを2回ほどやった。そういった甘えた根性で日々を呑気にすごしていたら26単位を落とした。僕が留年したのは演劇のせいではなく演劇をしていないときの無力感のせいに他ならないがそんなことは言い訳に過ぎないし、客観的にはどちらもたいして変わりがない。お前は世の中を舐めていると父親に言われた頃には実家を逃げ場だと思えなくなっていた。自分が世の中を舐めていることは薄々わかってはいたが、もう知らないふりをしていても怒られない歳ではなくなってしまったらしい。
 故郷は居心地の良い場所ではなくなっていた。外部から実家を独立した「生計」として捉えられるようになると、当然のように「じゃあおまえはどうするんだよ」という疑問が湧いてくる。知ったことではないのだが、僕は実家を飛び出した身であるし、親はいつか死ぬので、考えないわけにはいかない。実家の衣食住の全てが父親の「力」に見えてきてとにかく居た堪れない。まあ、実際全ては父親の力なのだが、その力に生かされている自らとそれに立ち向かうことのできない自らに絶望した。父親が家賃を払っている東京の僕のアパートだって父親の「力」に他ならないが、庭と駐車場を備えた一軒家はとにかく迫力が違うのである。迫力というのはつまり、実感がどれくらいの加速度で伴うのかということであり、実家で味わう実感の加速度は失神しそうなほどのものであった。とにかく、どんな角度から見ても父親はデカかった。おそらく僕は死ぬまで適わない。父親が為した多くのことに僕はたどり着くことがないであろう。父親の力はガソリン代と自動車重量税と保険料と車検費に姿を変えて力強く地面を走っている。父親の力はNHKの受信料を払い新聞もとっている。父親の力はコストコの巨大な食材に姿を変え食卓の上に並んでいる。こんなことを四六時中考えていなければならない場所で魂が癒えるわけはなかろう。とにかく現実逃避の選択肢として実家は全く現実的なものではなくなってしまった。実家そのものが最も差し迫った「現実」であるからに他ならない。ところが、大学生としての日常生活にはどこか現実味がなく、今行っていることが社会に出るための支度だとされていることはもっと現実味がない。前述のように故郷は怖い。目を背けたいものばかりで、一体何を見たらいいかわからない。わかってはいるんだ。わかってるのか?もう何もわからない。現実逃避とはなんぞや。現実逃避なんて言葉を用いる時点で逃げ続けるような生き方をしていると認めることにはなるまいか。そもそも現実とは何ぞや。行ったことのない場所に行って、見たことのないものを見る。僕にはどうしてもそれが必要なことのように思われて仕方がなかった。

 

***


 両親が帰り、僕の六畳はいつものように一人の六畳になった。部屋に一人というのはなんだかとても懐かしいような気がした。両親が来てくれたことは嬉しかったが、一人で暮らしている場所に朝から晩まで誰かがいることはまずなかったので、力が抜けた僕は寝床へ倒れ込んだ。倒れ込んだらできることなんて、インスタとTwitterを交互に見るくらいである。親指と眼球以外は動かさずに時間を葬るこの習慣は悪だとは思っているがもう病のように生活に取り付いて気がつけばそうしている。この悪しき習慣の中で僕はある重大なことに気がついた。どいつもこいつもネモフィラを見に行ってやがるのだ。僕がテレビで見た光景は、早朝、人が一人もいない、まるでお花畑が永遠に続いているような景色。だが、Twitterから得られた現地からの報告は、まるで花畑の合間を大名行列のように連なる大勢の観光客。いや、観光客と観光客の間に花が咲いているようにしか見えなかった。
 ネモフィラが見たいわけではなかったし、なんならネモフィラなんてテレビを見るまで知らなかった。どこでもいいから遠くへ行きたかった。できれば誰もいない場所がいい。人間は大学で見飽きた。なんでわざわざ遠くへ行った先で大学生の大群なんぞを拝まねばならんのだ。大学生の群れだけは見たくはない。どこか、人間のいない場所へ、できれば関東近郊で…

***

 連休中のある日、僕は朝5時に起きてレンタカーを借り、一路茨城を目指した。助手席には山田が座っていた。山田も遠くに行きたかったらしい。東京都を出て常磐自動車道路に進入すると視界は空と山と道路だけになる。その景色が時速80キロで次々と流れていくのを感じるだけで僕は少し高揚していた。おれはいまにげている!おれはいまにげているんだ!ハンドルを10時10分の位置でしっかりと握り、無心に前だけを向いて現在の速度を維持する。精神を揺るがすような事柄を意識から排除し、おれは毎秒22.222222…メートルで東京から遠ざかる。山田としゃべりながら。
 茨城県某所で後輩を拾う。僕と山田と後輩は知り合い同士なので特に困ったことはなかったのでそれは良かった。我々は霞ケ浦利根川を横目に太平洋を目指した。通り過ぎる町の眺めはどんどん寂れていく。いつまでたっても海が見えない。海かと思ったらそれは利根川であった。霞ケ浦利根川は途方もなく巨大で、特に利根川の河川敷は今まで見てきたどの河川敷とも似てはいなかった。盆地で育った僕にとって関東平野の広大な視界はとても新鮮なものに映った。国道沿いの様子は山形のものとあまり変わらないが、迫りくる山々の威圧がなく、だだっ広い空は視界が霞むまで続き、高圧電線が巡らされた鉄塔が等間隔に連なりそれが彼方まで続いていた。

風力発電所に向かう」
 それ以外のことを僕は伝えてはいなかったし、伝えることもできなかった。後輩と山田はのんきに喋っていたが、これからどういう場所に連れていかれるか見当もつかず、いくぶんかは不安をおぼえていたに違いない。僕が腰の痛みを感じたあたりで山田に運転を代わってもらう。カーナビは得体のしれない目的地へと設定され、山田はその指示に従い田舎道を進んでいく。

***


 僕は「カメラはじめてもいいですか」という漫画を持っている。父の古い一眼レフを譲ってもらい、なんとなく写真を撮り始めてから2年くらいたっているが、一体カメラで何を撮ればいいかたまにわからなくなる時がある。趣味として写真を撮っている人たちは一体何を撮っているのか知りたかったので、僕は最近そのカメラ入門漫画を買い求めた。なかなかの良著であった。登場人物は実在のカメラを操り、少しずつ操作を覚えていく。その漫画の冒頭に、風力発電所が登場する。作中で最初にシャッターが切られるのは風力発電所でのことだった。この風力発電所は実在し、ご丁寧にその所在地と行き方まで漫画には記載されていた。12基の巨大な風力発電機が一直線に連なる圧巻の光景。その名を波崎(はさき)ウィンドファームといい、茨城県神栖市波崎に位置する。僕はいつかそこへ行ってみたいと思っていた。

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 三時間走ってだるくなってきたころだった。遥か遠方の地平線(それは水平線であったが、あまりにも地面が平らなので地平線に見えた)に微かに白い風車のシルエットが浮かび上がった。しかし、どうだろう、いくら走ってもなかなか海にたどり着かないし、相変わらず風景はずっと同じだし、風車のシルエットのサイズは同じままであった。僕はもはや恐怖を感じていたし、他の2人も焦りのような何かに駆られていたとおもう。空間が歪んでいるんじゃないのか?変な次元に飛ばされたんじゃないのか?しかし、それは土地と風車があまりに巨大なだけで、到着予想時刻を過ぎることはなく我々は海岸線にたどり着くことができた。ただ、風車のシルエットはいまだにほとんど変わらないサイズで視界の遠方に立ち並んでいた。今度は海岸線沿いに、ずっと同じ眺めの防砂林の横を走り続ける。

***

 ついに我々は風力発電所の目の前に到達した。整った見学施設があるわけではない。そこはただの海岸だ。近くにあった人気のないサッカー場の駐車場に車を停め、我々三人は縦一列に歩き、砂浜をめざし防砂林のあいだの小道へ入る。風力発電所は目前に迫ったわけだが、頭上の巨大風車と自分の距離がよくわからず、この風車の実際の大きさがどれくらいなのかは計り知れなかった。風車が立っているところを目指して歩く。巨大風車の姿はありありと見えているのに、風車の足元が見えずその土台がどこにあるのか全くわからない。近づいていることはわかるがどれくらい近いのか全くわからない。そもそも海岸までが遠い。防砂林をなかなか抜けられない。そこはかとなく不安になってくる。それでも頭上の風車は歩みを進めるごとに迫りくる。僕はとにかく不思議な感覚だった。巨大風車たちの回転するブレードを見上げ歩きながら、僕はその存在を疑っていた。眼前に見えているにも関わらず、なかなかたどり着けないそれは嘘に見えて仕方がない。嘘というか夢というか幻というか、とりあえず信じることができなかった。
防砂林を抜けるとかなり高い土手が見えた。正確には砂の山であったためそれを土手と呼称することが適切かはわからない。巨大風車はその土手の向こうにあるようであった。
 土手を登ろうと踏み込むと足は砂の中に埋もれ、靴のなかに砂が入ってしまうので我々は靴と靴下を脱いで裸足になって土手を登った。その角度はそれなりに厳しく、登るのにはそれなりの困難を要した。あとになって付近に階段らしきものの“遺構”を発見したが、それは大部分が砂に埋もれていた。
砂に足をとられながらも、はやる思いで僕は土手を駆け登った。足元から目線を上にやると、海が見えた。

(Photo by 山田)

 

***

 

今更だが登場人物を紹介しよう。

注目すべき点は3人ともカメラを持ってきたという点である。示し合わせたわけではない。しかも古いフィルムのやつだ。


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  • 山田
    • (左)撮影:私
    • 京セラ CONTAX TVSⅡを祖父の遺品から拾ってきた
    • 大学4年生(休学した)
    • 僕の近所に住んでいる
    • 連休は暇だった
  • 茨城の後輩
    • (中央)撮影:私
    • ASAHI PENTAX MEを母の実家で発見し使っている
    • 私と山田の一つ下
    • 大学2年生(浪人している)
    • 茨城に住んでいる
    • 連休は暇だった
    • (右)撮影:後輩
    • OLYMPUS OM-2N を使用
    • 大学4年生(留年する)
    • 連休は暇だった

 

かくして、奇妙な顔ぶれの写真部がその場で成立した。

 

iPhoneを砂浜にねじ込みセルフタイマーで撮影したが、手前の貝殻にしかピントが合っていない。

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 海岸線は太陽の運航の軌跡に対しほぼ並行であったため、我々は3時間近く滞在したにもかかわらず太陽光の入射条件はほとんど変化しなかった。真上から降り注ぐ太陽光を白い砂浜が跳ね返し、そこに立つ人物は常に正面から光を当てられている。極めて陰影の少ない視界がそこには広がっていた。
 極めて陰影のない砂浜にはごうごうと強くも弱くもない風がふき、その向こうで、コンピューターグラフィックスみたいな巨大な風車のブレードがウォーンウォーンと聞いたことがない音をたてて常に同じ速度で回転していた。あまりに巨大なのでその速度が速いのか遅いのか記すことはできず、ただ物凄い勢いであったと言うほかはない。圧倒的迫力の嘘だ。その情景は、どこまで証拠を与えられても嘘に見えてしまうようなものだった。情報のない砂浜に立ち、実在を感じ取れない風車を目の前にしたその時、僕は単純で巨大な嘘の前に立つ一つの小さな存在に過ぎなかった。ウケる。ずっとウケていた。生の実感とか臨死体験を得たわけではない。そのどちらにも類することのない強烈な何かが迫るのを体感した。

 嘘みたいな景色に向かってカメラを構え、嘘みたいな情景をフレームに入れると、もっと嘘みたいな視界が得られた。ファインダーを覗いている間はずっと、まるで映画館でただ一人、シュールな映画を見せられているような感じでウケてしまう。僕はファインダーを覗きながらずっと「あははははははは」と笑っていた。僕だけではなかった。他の二人もカメラを構えながら「あはははははははは」と笑っていた。そりゃそうだ。こんなもん見たことねえもんな。どっちに向かっても嘘みてえな眺めだもんな。背後に巨大風車、眼前に水平線。その嘘みてえな眺めの中にぽつんと知ってるやつが佇んでる画面見たらウケちまうよな。

 相手が構えたカメラのレンズは私の方を向いていた。人間は目を開いている間は常に見ているわけだが、レンズを向けられると視界に入れられていることが明確にわかる。だが、これは目が合うのとも違う。ただ、視界に入れられているに過ぎない。撮影者が見ているのは僕ではなく、僕が含まれた情景である。その場の状況や文脈の多くは光軸上で断ち切られ、ファインダーの中で生成された二次元的な画像情報に収斂する。あのフレームの中にいる僕はもしかすると実際とは全く異なって見えているかもしれない。そんなことこっちからは窺い知れない。砂浜を歩いていった後輩がかなり離れた位置で振り返ってこちらに向かってカメラを向ける。僕は彼女が構図を決定するまでただ立ち止まる。僕の背後には巨大な風車があり、後輩はかなり離れた場所から僕の方へアングルを定める。その視界に占める自分の部分は一体どの程度かなどわからないので、ただ黙って真顔で水平線を見つめていた。後輩がファインダーから目を離すと、今度は僕が後輩にレンズを向ける。その様子を横から山田が見ていた。

 

Photo by

私|後輩

山田|後輩

山田

私|後輩|私

私|後輩

後輩|後輩|山田

 

 

 

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 よくロケ地になるらしいがこんな場所でどんな作品が撮れるのか。ここで撮られたとされる映像をある程度探してみる。特に意味はないが凄味のある画を撮るには最適なんだろうと思った。
 意味不明なミュージックビデオが好きだ。カラオケで歌ってる最中に画面に流れるやつも好きだ。シチュエーションが謎。表現意図が不明確なカットの連続。なんとなく画になるだけの情景を延々と繰り返す。まるで夢のよう。それぞれの画面構成に意味なんてない。ただ、なんとなく良いなと思うものが並んでいるだけ。空疎であればあるほど良い。美しさに内容なんてあってたまるか。こういうのも「エモ」に包括されたりしませんか。そういえば最近エモいって聞きませんね。コロナがあったからですかね。みんな情緒が希薄になってますか。わたしはむしろ育てましたがね、情緒を。あってほしいような、架空の情緒を。あるときは本の中で、またあるときは映画を見ながら、アニメを見ながら、漫画を読みながら。家の中で育てた架空の情緒をそれでも外の世界に求めていた。育ててしまった架空の情緒に自ら騙されて、それでもそんな情緒があってほしいと願う。だけど、外に出て「本物」を、たとえば連なった12基の巨大風車を目の前にして、その存在に圧倒的な「嘘」を感じる。圧倒的な嘘と、架空の情緒は、気味が悪いほど重なり、そこに立つ自身の存在の実感は限りなく希薄になる。光景が嘘で、情緒も嘘。存在の実感は希薄。しかし、私は間違いなくそこに立っていた。なんかなにもよくわからないので、ずっと笑っていた。

 

***

 

 今一度この3枚を見比べていただきたい。僕が繰り返し主張した「あの風車が実際どれくらいの大きさなのか、どこまで近づいてもいくら眺めても全くわからない。」という感覚が何となくわかっていただけるのではなかろうか。

 なんか、エヴァンゲリオンみたいな海辺だと思った。人間が他に誰もいないのも、スケールがよくわからないデカい風車の存在もそう思わせる一因だったと思える。単に遠近法やレンズの圧縮効果の影響に過ぎないのだろうが、対象があまりに巨大だと認知がうまくいかなくなる。僕が言いたいのはそういうことだ。


***

 

 風力発電所茨城県のはずれもはずれに位置していたので、この日過ごした大部分は移動時間であった。片側2車線の道路を60キロで走る。国道沿いに並んでいる商業施設や飲食店やその他の店舗は、看板の大きさや駐車場の広さなどの建築様式に至るまで地元の山形県で目にするものと酷似していてもはや不気味であった。我々は沿道で見つけたココスに寄って遅い昼食をとり、来た道を戻った。また3時間走り続けるのである。もう散々お互いの近況や最近考えていることは語り合い、議論は尽くされていた。我々は、我々が出会う高校時代より前、中学の頃やそれ以前のことについて話した。変な先生がいたとか、帰りの会や学級活動や委員会というのはおかしな規範を生み出していたとか、土日や連休は部活の練習試合とか遠征とかがあって、夏休みには合宿とかがあったとか、弱かったので大会は暇だったとか。3人とも同じ県内の、すなわち田舎の公立中学校を出ていたので、不気味なほど原体験を共有していた。

 帰り道は長いこと山田に運転してもらった。山田は荷物を助手席に置き、僕は後輩と並んで後部座席に座った。我々は砂浜で歩き回ったためそれなりに疲れていて、後輩も僕も少し眠たげだった。車は低い音と鈍い振動を絶えず響かせながら走行する。走行音と振動、車内に差し込む西日、田んぼや雑木林や電線や鉄塔、それらが延々と続く風景、そして、中学校について覚えていることの話。疲れてぼんやりとした意識でそれらを感じ取ると、まるで、自分は今中学生で、連休中の部活の遠征か何かの帰り道の車の中のような感覚を僅かに呼び起こした。不思議だった。中学校は7年前に卒業し、今は東京に住んでいる大学生で、運転免許を持っていて今日だって何時間も運転したということが逆に嘘みたいだった。中学校なんてろくでもないところだったし、地元は面白いことがないから東京に引っ越したわけで、別にあの頃に帰りたいとも思いはしなかった。だが、本当に部活終わりに車の後部座席でまどろんでいたあの中学の頃から、高校に進んで大学に入って留年した現在までの間に自分に起こったことの実感がいまいちわかなかった。まあでもこの車は東京に向かっているわけだし、22時30分までにレンタカーを返して、その後自分のアパートに帰ることになるのだから、別にどうでもいいと思った。山田と運転を代わり、ハンドルを握ってミラー越しに自分と目が合うと、そこに映っていたのはまごうことなき奥山諒太郎21歳日本大学経済学部4年GPA 1.2劇団人格社主宰であった。自分でも信じられないが僕は立派に時速50キロでしっかりウインカーを出して目視して幹線道路に合流することができる。

 

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 フィルムカメラというものはデジタルカメラスマートフォンのように撮影したものをすぐに確認することはできない。カメラからフィルムを取り出し、写真屋さんに持って行って「現像」してもらわなければならない。もちろん金がかかる。なんでそんなことしなければならないのかと言われても、昔はそれが当たり前だった(といっても僕だって現役フィルム世代じゃない)としか言いようがない。そんなことをしなくて済むようにデジカメが発明され、スマホに搭載されてフィルム代現像代を払わずとも撮りまくれるようになったのだ。じゃあなんでわざわざ金払ってフィルムで撮るのか。そんなやつ馬鹿なんじゃないのか。たしかに、なんでこんなことしているんだろう。でも、アナログで撮ることそれ自体はかなり新鮮な体験だし、フィルムで撮った写真には特有の良さがある。留年して人より学費を多く払ったやつしかできない体験みたいなものだ。どちらも金持ちの道楽に過ぎねえかもしれんがな。

 我々は海岸で大喜びで写真を撮ったので、すぐにその結果を確認したかった。フィルムは一本当たり24~36枚しかとることができず、一枚一枚大事に撮らなければならないが、全部使い終わらないと現像には出せない。撮り終わる前に現像に出してもいいけど、安くても1本千円前後のフィルムを使い切らなくてもいいならの話だ。僕と後輩はそれぞれ一本分撮り終えていたが、山田のフィルムは数枚残っていた。僕と後輩は早く撮り終えろと思っていたし、山田も早く撮り終えて現像に出したいと思っていた。

 後輩が住む地方都市には巨大ショッピングモールがあり、その中に写真屋さんが入居していたので我々はそこへ向かった。到着したのは18時ころであった。ショッピングモールの中の雰囲気さえ、山形のものとうんざりするほどよく似ていた。

 レンタカーの返却時間がある我々は急き立てられ、何か、何か撮るものはないかとショッピングモールを歩いたが、屋内はどこを見ても山形県天童市イオンモールと酷似していて本当にうんざりする。我々はショッピングモールの屋上駐車場へ出た。広い空が夕焼けに染まっていた。

Photo by 山田

 

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 何が言いたいか、最後まで読んでくれた貴兄には端的に示して差し上げよう。

  • こまごまとした現実の集まりより、巨大な嘘の方が、明らかにデカい体験である。
  • 現実逃避する者にとっては、現実なんてどこにもないのかもしれない。

 

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《追伸》

なんでタービンが回ると大丈夫なのかすこしだけわかった気がしました。またこんど!