カリフォルニア・日記

知っていること以外話す気はない

ここ数日の日記

1.10日くらいうちに住んでいた後輩が帰った。

 後輩は11月の初旬もうちに10日ほど住んでいた。そのあと福岡に向かい数日過ごした後、また東京の僕の家に戻ってきた。そこからまた10日、一昨日の朝までいた。彼の家は今仙台にあるということになってはいるが、11月中は彼はずっと不在であった。

さらに驚くべきことはというと、彼は僕の家にいる間ずっとご飯を作ってくれていた。だから僕は彼から宿代なんてとることはできない。むしろ対価を払うべきは僕の方であったが、後輩は大したことではないという様子ほぼ毎日おいしいご飯を作ってくれた。美味いのである。この上なく。うちにはもともとなかった調味料が彼が滞在するたびに増えていく。使いこなせる自信がない。家出した先でこれだけの炊事をこなせるその力がとにかく羨ましかった。

彼はものすごく嫌がりながら仙台へと帰っていった。さて、彼がいなくなってからの僕の生活だが、何もうまくいかなかった。

2.実家に電話した。

 携帯電話を買い替える必要があった。今使っているものが不調であるからだ。「ドコモのままプランを変えて機種変更したい。それでそれなりに安く済むし手続きが楽なんだ。そう父ちゃんに伝えてくれ母ちゃん」ただそれだけの要件で母に電話した。月曜の夜。しかし、母は酔っぱらっていて話が通じなかった。ここで父の登場である。

「おれはほとんど使わないからお前もそういうふうにできるはずだ」

「違うんですよ『とーちゃん』。使わなければいけない用事があるのです。」

「とーちゃんはそんなの知らん」

「存じ上げております。『とーちゃん』。しかし事情があるのです。」

 父はスマホに詳しくない。僕も通信事業者に精通しているわけではないし、その上うまく説明できる自信がない。そこに酔った母がちょっかいを出す。父と母は口論をはじめる。僕は電話を持ったまま沈黙している。するとだしぬけに父が言う。

安倍晋三がいまテレビに出てるんだ。日本銀行が貨幣を発行すればいいから政府の財源はなくならなないとか言いやがる。ばかじゃねえのか。」

「おっしゃる通り」

「こういうことを言う国会議員が何人もいるんだ。おまえどう思う?」

「あー、いやー、財政政策で景気が調節できる段階ではないと思いますね。」

「その通りだよ。安倍晋三プライマリーバランスのことわかってんのか?」

「あー、アベノミクス以降日銀の機能は低下していると言えるのでは…」

「全くだよ。黒田のヤロー(日本銀行:黒田総裁)がよー」

 父が本当に安倍晋三の悪口を言いたいだけなのか。それとも、仮にも経済学部に通っている僕を試したいのかはわからない。ただ、ミクロ経済学Ⅱ(再履)の評価がCだった(Dで落第。その一つ上である)僕にはもうこれくらいが限界であった。

「まあいいんだけどさ、おまえ就職はどうすんだ」

急所の打撃を受けた。僕は喘ぎながら平然を装い、続ける。

「2月に3日ほど新聞社の写真記者職のインターンシップに参加したいと存じております。」

「おまえ山形県庁は受けないのか?」

「いやぁ、地方公務員上級職ははそれなりの準備が必要では…?」

「そんなもん3か月くらいで大丈夫だろ」

「いや、3か月は無理があるのでは…」

「おまえ賢いんだから大丈夫だろ」

 父が僕を賢いと思っているのは高校入試で少しばかりうまく行ったからであろうが、15歳の僕と今の僕を比べると、その脳みそのしわは大幅に減っているものと思われる。今の僕の脳みそはおせちに入っているかまぼこくらいスムースになっている。

「それにしてもそれなりの準備を要するのです『とーちゃん』」

「しろよ、その準備を」

「選択肢に入れておきます。『とーちゃん』」

「で、おまえ携帯は何が欲しいんだ。」

iPhone 13 mini 128GB スターライトです」

よどみなく答える。

「わかった」

受け入れられたらしい。それだけ伝われば結構だ。

3.とーちゃんと呼べ

のび太「パパ」

ちびまる子ちゃん「お父さん」

シンジ君「父さん」

 まだ幼稚園に入る前だった気がする。父は風呂の中で僕に「とーちゃんのことはとーちゃんと、かーちゃんのことはかーちゃんと呼べ」と言われたのを記憶している。それ以前はどう呼称していたのか記憶していないが、斯くして僕はクレヨンしんちゃんになったのである。

4.デトマソパンテーラ

 電話口で父が私の就職に関することと安倍晋三の悪口を交互に言いながら母と言い争っているので、なんだか空気が険悪になってきた。いや、僕たちが共有しているのは音声だけであり僕が吸っている空気はまるで別物なのだが、すくなくとも良い気持ちはしなかった。僕はだしぬけに言う。

「『とーちゃん』、デトマソパンテーラって知ってる?」

「知ってるに決まっているだろう。」

「知ってるんだ」

「当たり前だろ」

「いやー、好きで聴いてるラジオで車の話になってねー、出てきたのよ。デトマソパンテーラが。なんだそれはとなりまして、『とーちゃん』なら知っているかと。」

 

2021.10.09 リリー・フランキー「スナック ラジオ」 - YouTube

(11:00 あたりを参照)

「そりゃもう。スーパーカーブーム世代だからね。懐かしいな。でもおれの周りではデ・トマソ・パンテーラよりも格好良いと言われていたのは…」


パンテーラPantera )は、デ・トマソの3作目のスーパーカー。1960年代を代表するレーシングカーフォード・GT40の構造的特徴をイメージした、イタリア製のボディにアメリカ製の大排気量エンジンを搭載した、デ・トマソフォードによる伊米合作のスーパーカーである。「パンテーラ」はイタリア語で「豹(ヒョウ属)」、イギリスではpantherを意味する。(Wikipedia


とーちゃんは楽しそうに話してくれた。よし。証券市場論の試験勉強と同時並行でスーパーカーについて勉強しておこう。僕はその場をしのぐ手段としてスーパーカーを手に入れ、それに乗り込み走り去ることができると考えていた。そんな馬鹿な。なんにせよぼくは「デトマソパンテーラ」という言葉の響きが気に入っていた。「デトマソパンテーラ」と言いたいだけだ。どんな車かは知らんが。

 

5.薬局に行くのを忘れた。

 僕は山形の薬局で1時間待たされたことがある。誇張ではない。ずっと時計を見て何分経ったか数えていたから正確に記憶している。待合室の面々はほとんど入れ替わることはなかった。待たされていたのは僕だけではなかった。それでもカウンターの向こうにいた薬剤師は急いでいるようには見えなかった。急ぐ必要なんてないのだろう。田舎の精神科の向かいにある薬局のばかみたいに平凡な土曜日。急を要する事態などどこにもない。事実、僕はほかに何の用事もなかった。他の人がどうだったかは知らない。あれ以来とにかく薬局で待つのが嫌いになった。そこで、いつも処方箋だけ置いて「あとで取りに来ます」と言って立ち去るようになった。スマートで忙しそうな紳士のように。その紳士が置いていったのは抗うつ剤睡眠導入剤の処方箋なのだが。

 その薬を受け取るのを忘れた。寝る前に飲む薬がない。薬局はとっくの昔に閉まっている。

6.夢

 寝ているときに見るもの。夢。僕は夢の話が人に通じたことがない。なぜかというと夢と現実の区別がついていないからである。睡眠導入剤によってもたらされる強制的な深い眠りの中では夢を見ることがない。少なくとも僕は。しかし、薬を飲み忘れたときの浅く短い眠り、或いは一度目覚めたあとの再びの眠り。その中で僕は夢を見る。というかこういう場合僕は半分起きている。頭の半分で考えていたことを引きずりながら、眠っている状態と覚醒している状態の間みたいなところを寝床で数時間さまよう。それを繰り返す。この時に見るヴィジョンは日中起きているときよりも強烈に感覚に訴えかけてくる。半分起きている頭で考えるのは以下のようなことだ。苦しい。布団から出たくない。何もしたくない。冷蔵庫の中に大根がある。米を炊いていない。パンはあるが塗るものが無い。布団の外は寒いが外は暖房を入れなければならないほど冷えてはいない。もう嫌だ。何もしたくない。どうすれば楽になれるんだ。声をあげて泣き叫びたいがその力もない。誰かに抱きしめられたい。誰に???これらの物事がこの世のものとは思えないほど恐ろしいヴィジョンとなって感覚に訴えてくる。大根や炊飯器や切れてるバターや切れてるバターが陳列されている売り場や切れてるバターが陳列されている売り場のあるスーパーマーケットやスーパーマーケットにたどり着くまでの道や実際にその道を僕が歩くことになった場合に身に着けるであろう衣服が。あるいは暖房をつけた場合の電気料金が。あるいは一切の痛みの無い世界が。一瞬の多幸感の致死量の再放送が。誰だか知らないが抱きしめてくれる人が。この現象をただ悪夢と呼ぶのであればそれは過小評価であろう。

 こういうことを説明するのが面倒なので「夢とか見ますか?」と言われたら「いやー、僕夢見ないんですよねー」と言っている。

7.あるものでなんとかする。

 寝る前に飲む薬が3種類1錠ずつある。そのうちの2種類がもうなくなっていて、そのかわり1種類だけなぜか3錠も残っていた。何も飲まずに寝ると、浅く短い眠りを繰り返し、前述の悪夢に類するものを見ることがわかっている。だったら何も飲まないよりましであろう。そう思って残ってる3錠をすべて飲んだ。

8.36時間動けなくなった

 もう何も覚えていない。少なくとも1日経ったのかもしれない。ひどく腹が減った。久しぶりに大好きなモスバーガーに行こう。そして、帰りに薬局に寄ろう。

9.モスバーガーが好きすぎてお金が全然ない話をしても誰も同情してくれない。

 だけど、モスバーガーに行った日。その日は良い日だ。

10.薬局からの帰り道

 幼稚園の制服を着た男の子と、お母さんが手を繋いで歩いていた。男の子は言う。

「おばーちゃんは、おかーさんを産んだんでしょ?じゃあおばーちゃんはおとーさんも産んだの?」

お母さんは答える。

「違うの。おとーさんのことはおとーさんのおかーさんが産んだの。」

「ちがうでしょー。だっておばーちゃんはおかーさんのこと産んだんでしょ?おかーさんのおかーさんがおばーちゃんだからおとーさんのおかーさんもおばーちゃんじゃないの???」

 この子は自分が理解できている事実から演繹して推論を進めている。それゆえにこのような結論がもたらされる。よくわかる。僕もなぜじーちゃんとばーちゃんがそれぞれ二人ずついるのか意味が分かっていなかった時期があった。

僕は微笑みながら劇薬が入った袋をさげて家路をたどった。